教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

2021-01-01から1年間の記事一覧

やってみたかったことに挑戦しよう。

やってみたかったことに挑戦しようと思う。 2年前に『キャストパワーネクスト』のオーディションを受けていました。 よくはわからないけど、芸能人とか劇団員の養成スクールみたいなやつ? 結局、仕事が忙しくてずっと休所してました。 だから、再開しようと…

大人の反抗期

僕は、40歳を過ぎて、今たぶん中年の危機ってやつだと思います。 この中年の危機って、その年齢に原因があるのではないと思う。 たぶん、潜在的に問題がずっとあって、それが年齢をきっかけにして、その問題に気づくんだと思う。 なんだか、「教員やってても…

心細くて気づいたこと。

10年ぶりくらいに『7つの習慣』を読み返しています。 www.amazon.co.jp ーーーーーーーーかる〜くこの本の説明ーーーーーーーー 『7つの習慣』は、いわば “人生のテキスト” です。 例えば、素人がスキーを始めようと思ったら、普通は誰かに習うかテキストを…

教師の仕事がつらいなら。

教師を辞めたからといって、即幸せになるわけではないと思う。 現に、今僕とても苦しいし・・・・。 でも、1ミリも後悔はない。 なんかもう、辞めることが自分にとって必然だったから。 僕の場合は、仕事の辛さが辞めた原因ではないですが。 教師が苦しくて…

自分の頭で考えるために必要なこと

人生の選択や行動において「自分の頭で考える」ということは、言葉以上に難しい。 実際に自分の頭で考えて行動できている人が、どの程度いるのだろうかと思う。 堀江貴文氏の著書「ゼロ」の中に、『自分の頭で考える』ために、絶対に乗り越えるべき必要条件…

江頭2:50に救われる。

一昨日、マジで気持ち的に調子が悪く、何もできませんでした。 もうダメだと、早々にあきらめて、 「コンビニでコーラとポテチ買って、『エガちゃんねる』をみよう!!」 と決めました。 まだ、お昼前ね。 すっごい笑わせてもらいました。 笑いながらなぜか…

私たちは「自分で決めたこと」のために必死になりたい。

僕は今まで、自己啓発の本やサイトを結構たくさん読んできました。 教員をやってて、本当に苦しかったとき、それらは確実に僕を助けてくれました。 (僕にとって、有益だったものを、いずれここにまとめようと思う) そういう情報には、大きく分けて2種類ある…

一歩踏み出すことが、成功。

ちょっと、最初に苦しい気持ちを表現したいので、ネガティブ表現がありますね。 できるだけ本音を書きたいので、情けない表現・甘えた表現・偏った視点もあるかと思います。 あへへh。 ーーーーーーーーーーーここからネガティブーーーーーーーーーーー もう…

人の居場所って、人だなぁ。

この2日間、ちょっと用事があって仙台に来た。 役所の用事で、それ自体はすぐに終了。 あとは、絵を描いていました。 スタバ行ったり、マック行ったり。 ipadで絵を描いていました。 どこへ行っても、人の密度がちょうどいい感じで、居心地はよかったです。 …

母親からの自立について

ついさっきまで、新宿のスタバで、私の母親について、ノートに書きながら考えていました。 結論を先に言うと、私が今に至るまで、人生に対して納得感を得られずにきた原因は。 「母親からの自立ができていなかったから」 と言う理由も大きのだと思います。 …

気持ちのざわつき。

↑自分なりによく描けた。 グラデーションに挑戦してみた。 まだまだだけどね。 新学年が始まって、本格的に僕は学校の関係者ではなくなったって感じがします。 みんな今頃は、忙しいんだろうな。 この時期は、大変です。 昨年度、僕が所属していた高校2年生…

苦しくて避難しました。

教員やめて、一週間以上が経ちました。 できるだけ、装飾せずに自分の様子を書き記すことができればと思います。 誰かの何かの役に立つかもしれないと思うので。 やめてからのことって、特に具体的には考えていませんでした。 今は、ひとまず規則正しい生活…

教師の仕事がきついなら。

私が教員を辞めた理由は、「ブラックな仕事だったから」ではないです。 確かに、教員ってやろうと思えば、いくらでも仕事があって。 やろうと思えば、いくらでも休日なんて無くせる。 ぼくも、もう少し若い頃は、『年間の休日が10〜15日くらい』なんていう時…

無職4日目・・・かな?

以前、書いた続きとして、修了式の日以降にあったことか、書こうかと思いましたが、なんだかもう、その時の熱というか、雰囲気が冷めてしまったので、またいずれ書こうかと思います。 とにかく、いろんな挨拶や文章を考えたし、思いがけない生徒たちから別れ…

おわっちゃったーーー!!

あー! 案の定、バタバタしている間に、終わっちゃったー。 はい、43歳無職の完成ー♪ ふざけてる場合かな、どうかな。 やー、昨日は無職1日目。 今日は無職2日目。 なんかやっぱ、落ち着かないぜ。 今日は、朝、筋トレしてから、最愛の姪っ子の誕生日の絵を…

(教員対象の)離任式

昨日は、教員対象の離任式がありました。 例年は、送別会があるんだけど、今年はコロナだからなし。 それは、ちょっと安心したかなw。 数年前から、辞めることを考えていたけど、あの送別会で送られる自分というのが、どうにも想像できない、したくないって…

切ないぜ。

このところ、毎日この時間帯になると、気持ちがざわつく。 日中は、学校でバタバタとしているが。 この時間は、ひとりぼっちを痛感しちゃう。 今日で、最後の授業も終わり、あとは修業式。 生徒とはそこでお別れ。 目の前に生徒たちがいる風景も、当たり前に…

意外と忙しい。

今部屋に帰って、ちょっと飲んだせいか、少し気持ちが落ちついています。 22日が修業式でぷ。 23日が職員室の引っ越し作業。 だから、そのへんが僕の15年間の、教員生活の最後の日だっちゃ。 やー。 どうしよー。 まぁ、もうどうしようもないんだけどね。 今…

中年の危機と反抗期

3月。 今日は、高校3年生の卒業式でした。 昨年一昨年と、僕は彼らの学年に所属していた。 毎年、卒業生たちが卒業する(当たり前や)。 でも毎年、卒業生は卒業していくんだよね、学校って。 受付の係をやった。 あと5年ほどで定年を迎える、同じ教科である数…

いよいよ4月が近づいてきたな。

早い。 9月30日に、初めて学年主任に辞意を伝えて。 12月9日に、教頭先生に辞表を出して。 2月12日に、人事発表があって。 なんか毎回毎回、緊張してた。 気が重かった。 おれ、いつもこんなだな。 きっと、ものすごい効率の悪い人生なんだと思う。 他の人な…

もう逃げ出したかったんだなぁ。

先日、来年度の人事発表があった。 当然、僕の名前はありませんでした。 結果、同僚のみんなには、僕が今年度でやめることが知れた。 なんか自意識過剰かな。 でも、ずいぶんと驚かれていると思う。 何人かの人には、声をかけられた。 ある年配の男の先生に…

明日(2月12日)は、来年度の人事発表だ。

明日は、来年度の人事発表。 僕の名前は、当然ながらどこにもないことになります。 つまり、僕が学校を辞めるっていうことが皆に知れることになる。 この日が来るのが、気が重くて、ここの所ずっと、気が沈んでいる。 先生たちにどう思われるか、とか。 こん…

僕だって、何かしたい。

せっかく、この世に生まれてきたんだ。 僕だって何かしたい。 何だろう。 何かして、「遊びたい」。 そんな感じ? 遊びの定義は、評価がないこと。 自発的なこと。 評価がないこと。 評価がないこと。 評価がないこと。 評価がないこと。 評価がないこちょ。…

斉藤和義はいいなぁ、しみるなぁ

すごい沁みるなぁ。 いいなぁ。 好きなんだ。 このところ、精神的にいろいろあるから。 沁みるぜ。 奇をてらわないオーソドックスな楽曲なのに、すごい良い。 それに、何度聴いても飽きない。 こういうのを天才って言うんだろうな。 「今歩いているこの道が…

我慢なんて、する必要なかったんじゃないの。

先日、スタバで、一人で、43歳なのに、ボロボロと涙をこぼしてしまった。 お酒も飲んでないのに、こんなに涙が出たのは、何年ぶりか。 ジャーナリングをしていました。 ジャーナリングっていうのは、頭にうかんだことを、正直にカッコつけずに、良い悪いを判…

常に人の目を気にしていたから、楽しくなかったなぁ。

*ぐち、不快、ネガティブ注意

最後の学期が始まりました。

仕事が 始まりました。 残念なことに、1月はコロナの影響で、遠隔授業となります。 一日6時間の遠隔授業は、生徒にとってはキツいだろうなぁ。 なんだか、やっぱりかわいそうです。 部活も大幅縮小で、せっかく勝ち進んでいた大会も中止になってしまいました…

予想通りに、お正月が終わりました。(雑記)

予想通りに、お正月が終わりました。 毎年そう、お正月は終わります。 なんていうか、とても儚いよな、お正月って。 僕は、年末が好きで、理由は一年が終わったという「まったり感」があるから。 一年の中で、一番気持ちが落ち着く時期だったと思います。 年…

紅白を見て、思ったこと。

去年の大晦日、母と姉と叔母と叔父と従兄弟と姪で過ごした。 姪は4歳、あとは全員43〜84という年齢構成。 僕が子供の頃は、よくこの親戚で集まっていた。 当時は、おばあさん、おじいさんも生きていて、一番年下の僕含めて、子供も4人いて、賑やかだった。 …