教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

もう逃げ出したかったんだなぁ。

先日、来年度の人事発表があった。

 当然、僕の名前はありませんでした。

 結果、同僚のみんなには、僕が今年度でやめることが知れた。

 

なんか自意識過剰かな。

 

でも、ずいぶんと驚かれていると思う。

 

何人かの人には、声をかけられた。

 

ある年配の男の先生には、「がんばれよ」って激励された。

 

「まずはストレスをとって、それからがんばりな」って言ってくれた。

 

僕は別にストレスがあったわけではない。

 

でも、そう言われて、「やっぱりもう、逃げ出したかった」という気持ちもあったことに気づきました。

 

理事長や校長が変わって、学校もずいぶんと変わった。

 

一言でいうと、成果主義になった。

 

大学進学実績を重視するようになった。

 

時代の流れで言えば、当然のことだよね。

 

選ばれる学校にならないと、生徒が来なくなってしまう。

 

進学クラスや普通クラスの設定も、年々種類が多岐にわたるようになっている。

 

それも一部の人間で決めるから、実態がもうよくわからないほどです。

 

教員の採用システムも、もうよくわからなくなりました。

 

昔は、教科が主体になって採用を決めていた。

 

教科の教員全員で、模擬授業を見て、全員で話し合って、決めてたなぁ。

 

今は、どこからどういう経緯で、採用されたのか、よくわからない人ばかりだ。

 

以前は、自分たちで決めてたから、顔と名前をちゃんと覚えられた。

 

でも、今は名前もよくわからない人が多くなった。

 

どこかの学校や予備校で、実績をあげた(らしい)という人もちょくちょくいる。

 

でも、ウチの学校の生徒に合う指導をするとは限らないことが多い。

 

そういう先生は、部活顧問も持たない。

 

不公平な気持ちを抱える人は、確実に増えたと思う。

 

今までに、引き抜きでやって来た人で、失敗と言わざるを得ないような人も何人もいた。

 

最近はそうでもなくなったのかな。

 

でも、なんか違う。

 

結局、分断が進んだ気がする。

 

生徒も、教員も。

 

成果を追うなんて、企業じゃ当然のことなんだろうと思う。

 

でも、学校現場は、それが最適解とは、必ずしも言えない。

 

クラス分けも、成績のいい生徒のクラスをやたら固めるようになった。

 

必然的に、できない生徒の集まるクラスもできる。

 

なんていうか、どちらも見ていられない。

 

本当に、これで成果が上がるのだろうか。

 

成績のいい子を集めたクラスは、従順すぎて熱というか、覇気を感じないことが多い。

成績の悪い子が集まったクラスは、行事も学校生活も、様々な面で、おざなりになりがち。

 

僕には、分断を強めているだけのような気がしてならない。

 

大学進学指導なんかも、もう本当にやりたいと思えない。

 

受験形態も大きく変わり、いったい誰のための、何のための受験なんだかわからない。

 

「いかに勉強しないで大学に行くか」

 

生徒も保護者も、そのために必死っていう感じがします。

不本意ながら教師も、そのために努力しているように思います。

 

今は、大学受験も推薦でいく子が、私立大学で言えば、50%以上。

 

うちの学校では、実感としては60%〜70%はいる気がします。

 

あるいは80%近いかも。

 

そのため、高校での成績が重要になります。

 

僕らの頃なんて、高校での成績なんて、大学受験には無意味でした。

 

進級さえしてれば良かった。

 

今は、生徒も保護者も必死です。

 

勉強に必死なのではなく、成績に必死です。

 

学校も成績を上げるのに必死。

 

校長命令で、どんなに勉強しない生徒であっても、よほど1も2もつけられません。

 

いったい何のための大学受験なのか。

 

茶番すぎる。

 

 

数年前から「ベストティーチャー賞」というのが選出されるようになった。

 

今までは、理事が決定していたそうだが、来年度からは投票制になるらしい。

 

得られるのは、金一封(数十万らしい)と、栄誉って感じか。

 

企業では、そういうの当たり前なんだろうな。

 

でも、おれを含め、そういうの苦手な人って多そうだ。

 

ましてや教員の仕事、多岐にわたるだろ。

 

変な確執生んだりしないだろうか。

 

まぁ、いいか。

もう関係ないし。

 

 

とにかく、本当に気力がなくなった。

糸が切れたのが、よくわかる。

こうした学校の変化が直接の原因ではないと思う。

 

でも、今回「ああ、こういうものからも逃げ出したかったんだな」って気づいた。

 

こういう学校で、生徒は健全に育つのかな。

 

僕は続けようと思えば、クビになることも無く続けられたとは思う。

 

でも、絶対に後悔すると思う。

絶対に、がんばることはできない。

目標も、目的も持てないで、ただお給料のために、及第点をとるだけの仕事ぶりを3年5年と続けたと思う。

 

そうしたらもう、何かを変えることなんてできない歳になるのではないか。

そしたら、もう定年まで、「ただ勤める」だけだったと、確実に思う。

 

こんなおれの状況を見て「コイツ人生おわた」と人は言うのだろうか。

「コイツ負け組」っていうのだろうか。

 

でも今思う、僕にとっての負けは、何の目的もなく、やめるのが怖いからという理由で、定年になるまで、時間をお金に変換し続けるだけの人生を送ることだと、思っています。

 

それに、勝ち負けでいうなら、皆、最後は「死」という「負け」を受け入れざるを得ないんじゃないの?

 

僕は、逃げるけど、今までの生き方を変えるよ。

 

親から先生から社会から、植え付けられた価値観を、一度どこかで捨て去らなければ、人は自分の人生をスタートさせることはできないじゃないかな。

 

勝つとか、得するとか、結果ばかりに気を取られていたら、そりゃ既存の押し付けられる価値観にすがることになるだろうと思う。

 

大切なのは、確実にある「死」という「負け」を受け入れる日が来るまでに、自分の価値観で生きるってことなんじゃないかな。

 

 

 

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