教師辞めて10ヶ月経った。その2『高いとこは怖い』
何度も同じことを思うけど、早いです。
教師辞めて、もうすぐ1年が過ぎようとしています。
今ごろ、学校では入試業務もひと段落して、来年度の人事発表がそろそろ行われるころでしょうか。
そしたら、来年度の時間割作成とか始まって。
来年度にむけていろいろ動き出す時期でしょうね。
僕は、ずっと鳶として仕事をしています。
今までは、「地走り」といって、主に地上で資材を持って走るような仕事がほとんどでした。
しかしこのところ、その日のメンバー構成によっては、僕が足場の高いところでの作業を任されるときもありました。
鳶を始めたときから、いつかはやらなきゃいけないと思っていたし、最終的にはできるよういんならなきゃいけないと思っているのですが、やはり怖い。
マンションの階数でいえば、大体12〜13階くらいの高さなのでしょうか。
手すりもない足場に立って、重い資材を扱うのは、本当に怖い。
ちょっとね、「死」が頭をよぎります。
こえーよ!!!
「自分が落ちること」はもちろん怖いのですが。
もっと怖いのは。
「モノを落とすこと」です。
けっこう重い鉄の支柱とか、足場の上で扱わなきゃならないのですが、それは地上で扱うのとは、全く意味がちがってきます。
もし万が一、ちょっとでも手をすべらしたりしたら、即「事故」。
本当に地上とは世界が違った。
このプレッシャーは、なかなかです。
それでも1日目よりは2日目、それよりも3日目、という調子で、慣れてはきます。
それでもやはり緊張する。
辞めるまでには、一人前にできるようになる。
すごい世界だ。
鳶の仕事も、もう半年を過ぎた。
不思議なもので、今更ながら環境の変化にびびってる。
仕事内容、人間関係の変化にびびってる。
もう教員の道からは、軌道が変わったのだ。
ということを、いよいよ実感した気がして。
今更ながらびびることがある。
これからどうするか。
一体何をやっているのか。
これでいいのか。
毎朝、目が覚めるとそんな思いがまず浮かぶ。
不思議と「神様」と祈る。
特定の神様ではなくて、なんかこの世の全体のような何かに対して、祈ってしまう。
1日1日を乗り越えるのは、実はそれほど苦では無い。
(高いとこの仕事はきついが。今日は高いとこじゃありませんようにって毎日思う)
でも、その日々がどこに向かうのか。
自分が若い頃は、歳をとることなんてまるで考えてなかった。
子供のころに夢想してた理想の自分とは、なんだかかけ離れている気がする。
それは、多分、その未来を明確にすることもなく、実行することもなくきたから。
多分、親の影響、環境の影響を拭うこともせず。
そもそも気づかず。
その場その場だけで得なことを選ぼうとして。
安心しきってきたから、と思います。
驚くほど、安心しきっていたと思う。
もうすることは、一度でもいいから、未来に対してナスことを明確にして。
成していく、という経験をしてみたい。
何をナスか。
それはだれも教えてはくれないらしい。
へー。
早い。
昨年、学校を辞めるとき、半ば社交辞令だろうけど、「卒業式には来てくださいね」と言ってくれた同僚の先生がおりました。
まぁ行けないだろうな。
まだ何もつかんでないっていうか。
ひろゆきなら、「つかむって何すか?」とか言うのかな。
「具体的にどういう状況すか?」とか言うのかな。
僕は、生徒の見本になりたいと思った。
サラリーマン教師をしているだけでは、見本になりえないと思った。
生徒にお得情報を与えるだけでは、生徒のためになってないと思った。
その思いは今でも変わっていません。
だから、私にとって、教師は辞めざるを得なかったと思います。