教師辞めて、1年経った。
教師辞めて、1年が経ちました。
現在の状況や思うことなどを書いてみたいと思います。
【演劇に2回出演させてもらった】
教師辞めてからのこの1年を簡単に言えば。
・3ヶ月のニーティーで苦しい日々
・演劇に参加させてもらったとても楽しい「ハレ」のような期間
・鳶として働かせてもらう淡々とした残りの大多数の日々
という日々があった、だけかな。
ほとんどは鳶として働かせてもらう日々だった気がします。
淡々としていて孤独な日々でした。
そんな中で、2回ほど演劇に参加させてもらいました。
去年の8月には、airstudioプロデュース公演『OVERTIME』。
そしてつい先日公演があった、劇団鉄骨ボレロ公演『破滅的インパルス』。
なぜか子どもの時から演劇に憧れがありました。
僕は物心ついた頃から、なんとなく人に対して自分を素直に表現しきれていない感じがありました。
なんていうか、いつもどこか遠慮してしまうというか、窮屈さを感じていた。
でも演劇であれば、別の人という設定を借りることで、普段は窮屈に感じている壁を難無くブチ壊せる。
窮屈な壁が何もない状態で、動き、声を出し、人と話すことができる。
多分子どもの時から、そんな予感を演劇というものに感じていたと思います。
実際に演劇をしてみて、果たしてその通りでした。
特に今回は、『テロリストを企てそうな留年しまくりの美大生』の役で相当「おかしな人」の役柄でした。
それを思いっきり演じることができて、ものすごく気持ちが良かった。
本番直前の緊張感、そしてお客さんから笑いの反応があったの時のドーパミン、仲間と丁寧に力強く世界観を作る充実感、お客さんをその中に引き込む感覚。
あれはもう麻薬だと思いました。
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↑今回、お世話になった『劇団鉄骨ボレロ』
今回の公演メンバーは年齢層が広く、下は最年少20歳、上は50代。
50代の方の中には、消えていくビールの泡を見て、
「俺の人生の残り時間もこの泡のように消えていく。このまま、やりたかったこともやらずに終わって良いのだろうか」
と、年収1000万越えの仕事を辞め、俳優を目指し始めた人も。
学校の進路指導では、そんな話は出てきません。
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今の正直な気持ちは『もっとやりたい』。
どうしてもっと早くにストレートに「演劇をやってみる」ことをしなかったんだろう、と思います。
うまく言えないが、こういうことをしたいというのは「なんだかずっと前からわかっていたこと」のような気さえします。
もっと早くにやれば良かった。
そんなふうに思います。
『死ぬときに後悔すること25』という本があります。
1000人以上の臨終を見届けてきた、緩和医療専門医である著者が、人が死ぬ間際に後悔することに共通点があることに気づき、それをまとめた本です。
その中に『やりたいことをやらなかったこと』というのがあります。
僕は、子どもの時から演劇に興味があった。
でも、実際にやったことはなかった。
(小学校の学芸会でも「木」の役だった!!(実話))
この1年、2回の演劇に出演させてもらうことができた。
このこと一つを取ってみても、僕は教師を辞めて良かったと思います。
少なくとも、やりたいことをやらなかったという後悔はしないと思う。
もっとしたい。
もっと早くからしたかった。
という思いはあるけど。
もう1年でも2年でも早くに辞めていれば良かった。
なんなら完全に無気力だったラスト5年を、無かったことにしたい。
と思うけど。
僕を含めて「やりたいことがわからない」と思っている人は多い。
でも今回「もしかしたら何をしたいのかはホントは前からわかっている」のかもしれないな、と思いました。
もしかしたら、ね。
本当はわかっているのに、
・失敗への恐れ
・経済的な問題
・社会的に成功しないと意味がないという考え
・周りの人への遠慮
・親への遠慮
・子どもの頃から培った「常識」
なんだか、そういう色々なものが混ざって、素直にまっすぐに「どうしたいか」が見えなくなっているのではないか、と思いました。
社会的に認められること、常識と呼ばれるようなことに流れ込んでいくのではないか。
本当は自分もやってみたいと感じているのに、それをやっている人をなんとなく見下したり、憐れんだりしてしまうことがある。
外から見ているだけでは、評価したり批判する対象になってしまう。
でも誰かを評価・批判してばかりいて、自分の人生は置き去りになりはしないか。
今回、僕はとある劇団のとある演劇に、関わらせてもらった。
それはまぁ社会的な成功とは無縁の出来事だし、経済的な効率を言えば普通しないことかもしれません。
でも、ものすごい楽しかった。
ものすごく。
それは外から見ていたからではなくて、その中に入らせてもらったからわかった楽しさ。
その中で、経験をさせてもらった。
演劇というものを、どっぷりと味わわせてもらった。
そんなふうに思っています。
実際に経験させてもらえば、20歳の青年から50代の方までがマジで心が一つになる瞬間があった。
公演を重ねるにつれて、全員がお互いに対して自信と信頼を感じた瞬間が明確にあったのです。
なんだか「青春」を感じるような、僕にとってはとても価値ある時間だった。
もし、僕がコレを外から「常識的に」見ていたら、手間も時間もかかりすぎて、とても価値を見出せる出来事ではないかもしれない。
人は、いる場所によって見え方も考え方も違う。
そう思う。
簡単に言えば、「踊るアホウに見るアホウ」だ。
効率や常識に則れば、どんどん「見る」ものが増えていくと思う。
余計なことをしないように、できるだけ最短距離で、経済的な安定をなす。
学校の進路指導は要はそういうことと思ってしまう。
僕は40を過ぎていわゆる「中年の危機」になったのだと思う。
踊りたい踊りを踊ってこなかった気がする。
そして、これから先も踊れる機会はなさそうだ。
そんなふうに感じたんだと思う。
ただ、やめるのが怖いという理由で、惰性的に教師をしてた。
そういうやり方しか知らなかった。
仕方ないものと思っていた。
人は、いる場所によって見え方も考え方も決まるから。
今、教師を辞めて1年経った僕は、技術も知識も何もなく、この先もマジわからん。
でも、小さくても、僅かな時間でも、「踊れた」ことは違いないと思っています。
誰に評価されることでなくても、僕にとっては、人生を生きる中での手応え。
ホントはもっとしたい。
こんな話、もし教壇に立って生徒にしたとしても、きっと聞かないでしょう。
生徒が教師に期待する話は、良い成績を取るためのお得情報と、良い大学に入るためのお得情報だからね。
できるだけリスクを避けたいのだ。
でも、やりたいことをしないでいる、わからないでいる、という事のリスクだって相当に大きいはずと思います。
成功しないと意味ないとか。
経済的に成り立たないと意味ないとか。
有名にならないと意味ないとか。
そういうのはノイズとして。
洗い出して、一度、純粋に小さくてもやってみる、そのことは大事だと思う。
人は、いる場所によって見え方も考え方も決まる。
やってみたら、成功はしなくても、評価を受けなくても、「踊る」ことの価値を実感できるかもしれない。
そういう世界があるのか、と思って次の行動につながるかもしれない。
いずれ「コレをやりたい」って思えるものにぶつかるかもしれない。
何かの目的のために時間と体を使うことが人生なんだと気づくかもしれない。
生きる意味が、それまでとは違って見えるかもしれない。
人は、いる場所によって見え方も考え方も違うから。
なんだか、そういうことを生徒に言いたかったのかもしれないな、と思いました。
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↑袖振り合うも他生の縁。
私は、あまり人と仲良しになれない。
なりたいのに、よく疎遠になる。
でも、一時的でも目的を共有する人を仲間と思っておりマウス。
↑ 右が、劇団鉄骨ボレロ主宰で脚本/演出を担当する渡邉晋さん。
https://twitter.com/tekkotsuborero
どうやったらあんな台本が書けるんだろう。
↑ 舞台の小道具として描いたイラスト。
アジテーションのビラ。
↑ カッコいい人(言うのは自由)。
遺影にします。
↑ 稽古期間は、2ヶ月強。
意外と長かったですね。
↑ 生徒の見本になりたいという人の表情。
↑ これは昨年8月の写真。
皆さん、本当にお世話になったな。
【鳶(とび)として仕事をさせてもらう毎日】
この1年の大半は、鳶として仕事をさせてもらった毎日でした。
早朝、チャリで事務所へ行って、会社の車で現場に行った。
まさか、自分の人生の中でこの仕事をするとは、1ミクロンも思っていませんでした。
体力仕事で、いわゆる職人の世界。
自分とは全く異なる世界と思っていました。
でも、『異なる世界にも世界はあった』みたいな気がしています。
毎日、鉄と石と土と埃と汗。
そんな中で仕事をします。
学校の仕事は、行事があったり、テストがあったり、季節によってやることに変化がある。
でも鳶は、毎日毎日、ひたすら働くっていう感じです。
はじめの頃は『地走り』といって、地上で様々な資材をアッチコッチに運ぶ役割でした。
しかし、徐々に高いところでの作業も任せてもらうようにもなりました。
マンションの15階くらいの高さ。
手すりもない。
そんな足場に立って、長かったり重かったりする資材を扱う。
もちろん安全帯はするけど、マジ怖ぇ。
「これ死じゃん」とか思う。
「そのうち慣れるよ」とか言われたが、「んなわけあるか!!」とか思った。
しかし、何度かやっていくうちに確かに慣れてきた気もします。
いたずらに恐怖心にあおられるのではなく、安全な作業を意識できるようになるというか。
そんな感じ。
資格とか肩書きとかじゃなくて。
自分の技術。
それだけの世界。
そういうところで働くことが修行なのかな。
確かに「働いてその対価としてお金をもらう」という概念が、サラリーマン教師をしていた時となんとなく変わってきた気がする。
「働く」ということに対する意味づけが、変わってきたかな。
社長にも若頭にも、お世話になっている。
辞めるまでには、ある程度できるようにならないといけないと思っています。
毎日毎日、同じような日々を過ごしていると、焦りもあるし、孤独感も感じる。
どうしても寂しくもなる。
でも、技術も知識もないボクにできること。
それをやる。
やっていく。
それしか今はできないかな。
【先はわからない】
けども、教師を辞めて良かったというのは本心として思います。
今のボクにできることは、とても小さなことでSHOW。
技術も知識も実績のないDEATH。
収入も激減しちゃったでしょう。
でもなんか、教師をやっていれば良かったとは、やっぱ1ミリも思えない。
先はどうなるかわからないけど、「教師を辞めたらどうなっちゃうんだろう」って怖がっていた気持ちはもうない。
人は、いる場所によって見え方も考え方も変わる。
昔、毎日お酒を飲んでいた頃、お酒を飲めない人のことを「なんて可哀想な人なんだ」って思ってた。
お酒の習慣がなくなった今、お酒を飲まずにいられない人を「毎日飲まなきゃいけないなんて、めんどくさそうだな」って思う。
自分の所属する環境によって、見え方も考え方も変わる。
教員時代、辞めたらどうなるかを考えると怖かった。
1年経った今は、続けていたらどうなっていたかを考えると少し怖い。
生徒の見本になりたいと思ったから、辞表を出した。
なにげに、この1年沢山の人にお世話になった。
そのお世話になった人たちのおかげでやってこられた。
色んな人にも出会えた。
考え方も多少変わった。
「サラリーマンとして、できるだけ沢山のお給料をもらって生きる」だけじゃなくて。
なんか、時間と体を、何かのために使いたい。
そんなふうに思いました。
(`・∀・´)
もちろんお金は大事よな。
収入が激減したおかげで、メルカリとかウーバーとか始めるようになったよ
↑ メルカリに出品して3秒後に、23,000円で売れたPS4。
↑ 意外とゲームのようで楽しいUberEats。