教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

劇団鉄骨ボレロ第10回公演『ダイナマイトフィーバー・メランコリックランデブー』

4月に出演させてもらった、劇団鉄骨ボレロの次回公演に出演させてもらえることになりました。

ありがとうございます。

もし、ここをご覧の方で「ちょっと応援してやろうかな」って思われる方は、ぜひご覧に来てください。

配信もあります。

ぜひ。

私は、鉄組に出演いたします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

鉄骨ボレロ第10回公演
『ダイナマイトフィーバー•メランコリックランデブー』

【劇場】
参宮橋トランスミッション
〒151-0053 東京都渋谷区代々木4-50-8参宮橋ゲストハウスB1
新宿駅より小田急線2駅、参宮橋駅下車徒歩2分)
https://www.trance-mission.jp/main.html

 

【公演スケジュール】
8/18(木)14:00(鉄) 19:00(骨)
8/19(金)14:00(骨) 19:00(鉄)
8/20(土)13:00(骨) 18:00(鉄)
8/21(日)12:00(鉄) 16:00(骨)
※開場は開演の30分前予定

 

【チケット】
前売 4,000円
当日 4,500円

 

【予約】

第10回公演 『ダイナマイトフィーバー・メランコリックランデブー』 予約フォーム

 

【配信】

鉄組(2022/8/18(木)14:00公演)
https://v2.kan-geki.com/live-streaming/ticket/755

骨組(2022/8/18(木)19:00公演)
https://v2.kan-geki.com/live-streaming/ticket/756

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はい、チーズ。

 

がんばる。

だから見てほしい。

 

好きなんだな。

人前で表現するのが。

 

劇も、バンドも、授業も。

 

全部好きだ。

 

 

見にきてくれる人に伝えて、驚いてもらったり笑ってもらったり納得してもらったりする。

そういうように『伝える』ことが好きだったんだな。

 

 

問題は、伝えるには当然相手が必要ってことだね。

 

 

そこがホントに、アレやね。

アレだわぁー。

 

 

学校なら普通に生徒を与えてもらえるけど。

 

アレだなぁ。

ホントーーーっに、難しいところだわ。

 

 

見てもらえる人に楽しんでもらえるように、掛け値なしで全力でやるよ。

 

 

 

 

 

最近のこと。

 

 

とびの仕事も1年経った。

清水ジャンプで、とびの仕事を始めたのは去年の7月。

ちょうど1年が経った。

もう、お客さん扱いではなく、結構厳しく指導を受ける。

 

この仕事は、お金目的でやっているわけではなく、人生の経験としてやっています。

だから、厳しい指導も真摯に受けとめてやっています。

 

でもね、それでもね。

 

 

毎日、毎分、毎回、ガンガンやられると、さすがにキツくなってもくるものなんですね。

 

もうどう動いてもダメ。

全ての選択肢が不正解。

 

 

難しいなぁ。

覚えることも沢山あるし、できるようにならなきゃいかんことも沢山。

 

辞める前には、ある程度できるようにならなくちゃと思っているけど、一体どれくらいかかるんだ・・・。

 

って感じ。

 

 

ここへ来て、自信を無くしているよ。

まぁこれも経験、これも勉強か。

 

 

何が勉強になってるのかは、わからない。

でも、「生徒の見本になる」っていう意味では、サラリーマン教師を続けているよりは、今の方がいいと思っています。

 

いや、教師の仕事もメッッッッチャクチャ大変なんだけどね。

あんなのできねーよ。

 

で、やる気もなくし、お給料をもらって日々を流すだけの腐った教師になってしまうよりは、今の方がまだ「生徒の見本」に近いかなって思っています。

 

 

でも、まだまだだな。

 

 

 

生徒に会いたい。

生徒に関わりたい。

数学教えたい。

授業したい。

でも、楽しいからっていう理由だけでやる授業は、もうお互いに時間の浪費かな。

 

 

大学の数学、勉強しなおそうか。

 

 

先が見えない。

がんばれ。

負けんな。

 

 

 

なんていうか、もう子どもじゃないんだから(44歳)、ちゃんと責任持ってやりたいと思うならやらなきゃいけないっていうか。

 

もう、従順に誰かのゆーこと聞いていればいいっていうわけじゃないから。

 

やりたいと思うならやれよ。

っていうか。

 

ちゃんと大人として、責任持って、誰かがやってくれるっていう感じじゃなくて。

 

うまく言語化できない。

 

やっぱ、子どもの時から「言うことを聞く」教育をしすぎなんじゃないかなって思ったり。

 

 

自分でケツを拭くっていう経験も少ないおれと社会。

 

っていうか。

 

 

このブログは、支離滅裂ですね。

 

すみません。

 

おやすみ

 

 

 

 

教師辞めて、1年経った。

教師辞めて、1年が経ちました。

現在の状況や思うことなどを書いてみたいと思います。

 

 

 

【演劇に2回出演させてもらった】

 

教師辞めてからのこの1年を簡単に言えば。

 

・3ヶ月のニーティーで苦しい日々

・演劇に参加させてもらったとても楽しい「ハレ」のような期間

・鳶として働かせてもらう淡々とした残りの大多数の日々

 

という日々があった、だけかな。

ほとんどは鳶として働かせてもらう日々だった気がします。

淡々としていて孤独な日々でした。

 

そんな中で、2回ほど演劇に参加させてもらいました。

去年の8月には、airstudioプロデュース公演『OVERTIME』。

そしてつい先日公演があった、劇団鉄骨ボレロ公演『破滅的インパルス』。

 

なぜか子どもの時から演劇に憧れがありました。

 

僕は物心ついた頃から、なんとなく人に対して自分を素直に表現しきれていない感じがありました。

 

なんていうか、いつもどこか遠慮してしまうというか、窮屈さを感じていた。

 

でも演劇であれば、別の人という設定を借りることで、普段は窮屈に感じている壁を難無くブチ壊せる。

 

窮屈な壁が何もない状態で、動き、声を出し、人と話すことができる。

 

多分子どもの時から、そんな予感を演劇というものに感じていたと思います。

 

実際に演劇をしてみて、果たしてその通りでした。

 

 

特に今回は、『テロリストを企てそうな留年しまくりの美大生』の役で相当「おかしな人」の役柄でした。

 

それを思いっきり演じることができて、ものすごく気持ちが良かった。

 

本番直前の緊張感、そしてお客さんから笑いの反応があったの時のドーパミン、仲間と丁寧に力強く世界観を作る充実感、お客さんをその中に引き込む感覚。

 

あれはもう麻薬だと思いました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↑今回、お世話になった『劇団鉄骨ボレロ

今回の公演メンバーは年齢層が広く、下は最年少20歳、上は50代。

50代の方の中には、消えていくビールの泡を見て、

「俺の人生の残り時間もこの泡のように消えていく。このまま、やりたかったこともやらずに終わって良いのだろうか」

と、年収1000万越えの仕事を辞め、俳優を目指し始めた人も。

学校の進路指導では、そんな話は出てきません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

今の正直な気持ちは『もっとやりたい』。

 

どうしてもっと早くにストレートに「演劇をやってみる」ことをしなかったんだろう、と思います。

 

うまく言えないが、こういうことをしたいというのは「なんだかずっと前からわかっていたこと」のような気さえします。

 

もっと早くにやれば良かった。

そんなふうに思います。

 

 

『死ぬときに後悔すること25』という本があります。

1000人以上の臨終を見届けてきた、緩和医療専門医である著者が、人が死ぬ間際に後悔することに共通点があることに気づき、それをまとめた本です。

 

その中に『やりたいことをやらなかったこと』というのがあります。

 

僕は、子どもの時から演劇に興味があった。

でも、実際にやったことはなかった。

(小学校の学芸会でも「木」の役だった!!(実話))

 

この1年、2回の演劇に出演させてもらうことができた。

 

このこと一つを取ってみても、僕は教師を辞めて良かったと思います。

 

少なくとも、やりたいことをやらなかったという後悔はしないと思う。

 

もっとしたい。

もっと早くからしたかった。

という思いはあるけど。

もう1年でも2年でも早くに辞めていれば良かった。

なんなら完全に無気力だったラスト5年を、無かったことにしたい。

と思うけど。

 

 

僕を含めて「やりたいことがわからない」と思っている人は多い。

でも今回「もしかしたら何をしたいのかはホントは前からわかっている」のかもしれないな、と思いました。

 

もしかしたら、ね。

 

 

本当はわかっているのに、

 

・失敗への恐れ

・経済的な問題

・社会的に成功しないと意味がないという考え

・周りの人への遠慮

・親への遠慮

・子どもの頃から培った「常識」

 

なんだか、そういう色々なものが混ざって、素直にまっすぐに「どうしたいか」が見えなくなっているのではないか、と思いました。

 

社会的に認められること、常識と呼ばれるようなことに流れ込んでいくのではないか。

 

本当は自分もやってみたいと感じているのに、それをやっている人をなんとなく見下したり、憐れんだりしてしまうことがある。

 

外から見ているだけでは、評価したり批判する対象になってしまう。

 

でも誰かを評価・批判してばかりいて、自分の人生は置き去りになりはしないか。

 

 

 

今回、僕はとある劇団のとある演劇に、関わらせてもらった。

それはまぁ社会的な成功とは無縁の出来事だし、経済的な効率を言えば普通しないことかもしれません。

でも、ものすごい楽しかった。

ものすごく。

 

 

それは外から見ていたからではなくて、その中に入らせてもらったからわかった楽しさ。

その中で、経験をさせてもらった。

演劇というものを、どっぷりと味わわせてもらった。

そんなふうに思っています。

 

実際に経験させてもらえば、20歳の青年から50代の方までがマジで心が一つになる瞬間があった。

 

公演を重ねるにつれて、全員がお互いに対して自信と信頼を感じた瞬間が明確にあったのです。

 

なんだか「青春」を感じるような、僕にとってはとても価値ある時間だった。

 

もし、僕がコレを外から「常識的に」見ていたら、手間も時間もかかりすぎて、とても価値を見出せる出来事ではないかもしれない。

 

人は、いる場所によって見え方も考え方も違う。

 

そう思う。

 

簡単に言えば、「踊るアホウに見るアホウ」だ。

 

 

効率や常識に則れば、どんどん「見る」ものが増えていくと思う。

 

余計なことをしないように、できるだけ最短距離で、経済的な安定をなす。

学校の進路指導は要はそういうことと思ってしまう。

 

 

僕は40を過ぎていわゆる「中年の危機」になったのだと思う。

踊りたい踊りを踊ってこなかった気がする。

そして、これから先も踊れる機会はなさそうだ。

そんなふうに感じたんだと思う。

 

ただ、やめるのが怖いという理由で、惰性的に教師をしてた。

そういうやり方しか知らなかった。

仕方ないものと思っていた。

人は、いる場所によって見え方も考え方も決まるから。

 

 

 

 

今、教師を辞めて1年経った僕は、技術も知識も何もなく、この先もマジわからん。

 

でも、小さくても、僅かな時間でも、「踊れた」ことは違いないと思っています。

 

誰に評価されることでなくても、僕にとっては、人生を生きる中での手応え。

 

ホントはもっとしたい。

 

 

 

 

 

こんな話、もし教壇に立って生徒にしたとしても、きっと聞かないでしょう。

 

生徒が教師に期待する話は、良い成績を取るためのお得情報と、良い大学に入るためのお得情報だからね。

 

できるだけリスクを避けたいのだ。

 

でも、やりたいことをしないでいる、わからないでいる、という事のリスクだって相当に大きいはずと思います。

 

 

成功しないと意味ないとか。

経済的に成り立たないと意味ないとか。

有名にならないと意味ないとか。

 

そういうのはノイズとして。

洗い出して、一度、純粋に小さくてもやってみる、そのことは大事だと思う。

 

人は、いる場所によって見え方も考え方も決まる。

 

やってみたら、成功はしなくても、評価を受けなくても、「踊る」ことの価値を実感できるかもしれない。

 

そういう世界があるのか、と思って次の行動につながるかもしれない。

いずれ「コレをやりたい」って思えるものにぶつかるかもしれない。

何かの目的のために時間と体を使うことが人生なんだと気づくかもしれない。

生きる意味が、それまでとは違って見えるかもしれない。

 

人は、いる場所によって見え方も考え方も違うから。

 

なんだか、そういうことを生徒に言いたかったのかもしれないな、と思いました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

↑袖振り合うも他生の縁。

私は、あまり人と仲良しになれない。

なりたいのに、よく疎遠になる。

でも、一時的でも目的を共有する人を仲間と思っておりマウス。

 

↑ 右が、劇団鉄骨ボレロ主宰で脚本/演出を担当する渡邉晋さん。

https://twitter.com/tekkotsuborero

どうやったらあんな台本が書けるんだろう。

↑ 舞台の小道具として描いたイラスト。

アジテーションのビラ。

↑ カッコいい人(言うのは自由)。

遺影にします。

↑ 稽古期間は、2ヶ月強。

意外と長かったですね。

↑ 生徒の見本になりたいという人の表情。

 

↑ これは昨年8月の写真。

皆さん、本当にお世話になったな。

 

 

 

【鳶(とび)として仕事をさせてもらう毎日】

 

この1年の大半は、鳶として仕事をさせてもらった毎日でした。

 

早朝、チャリで事務所へ行って、会社の車で現場に行った。

まさか、自分の人生の中でこの仕事をするとは、1ミクロンも思っていませんでした。

体力仕事で、いわゆる職人の世界。

自分とは全く異なる世界と思っていました。

 

でも、『異なる世界にも世界はあった』みたいな気がしています。

 

毎日、鉄と石と土と埃と汗。

そんな中で仕事をします。

 

学校の仕事は、行事があったり、テストがあったり、季節によってやることに変化がある。

でも鳶は、毎日毎日、ひたすら働くっていう感じです。

 

 

はじめの頃は『地走り』といって、地上で様々な資材をアッチコッチに運ぶ役割でした。

しかし、徐々に高いところでの作業も任せてもらうようにもなりました。

 

マンションの15階くらいの高さ。

手すりもない。

そんな足場に立って、長かったり重かったりする資材を扱う。

もちろん安全帯はするけど、マジ怖ぇ。

「これ死じゃん」とか思う。

 

「そのうち慣れるよ」とか言われたが、「んなわけあるか!!」とか思った。

 

 

しかし、何度かやっていくうちに確かに慣れてきた気もします。

いたずらに恐怖心にあおられるのではなく、安全な作業を意識できるようになるというか。

そんな感じ。

 

 

 

資格とか肩書きとかじゃなくて。

自分の技術。

それだけの世界。

そういうところで働くことが修行なのかな。

 

 

確かに「働いてその対価としてお金をもらう」という概念が、サラリーマン教師をしていた時となんとなく変わってきた気がする。

 

「働く」ということに対する意味づけが、変わってきたかな。

 

 

社長にも若頭にも、お世話になっている。

 

辞めるまでには、ある程度できるようにならないといけないと思っています。

 

 

 

毎日毎日、同じような日々を過ごしていると、焦りもあるし、孤独感も感じる。

どうしても寂しくもなる。

でも、技術も知識もないボクにできること。

それをやる。

やっていく。

それしか今はできないかな。

 

 

 

【先はわからない】

 

けども、教師を辞めて良かったというのは本心として思います。

 

今のボクにできることは、とても小さなことでSHOW。

技術も知識も実績のないDEATH。

 

収入も激減しちゃったでしょう。

 

でもなんか、教師をやっていれば良かったとは、やっぱ1ミリも思えない。

 

先はどうなるかわからないけど、「教師を辞めたらどうなっちゃうんだろう」って怖がっていた気持ちはもうない。

 

 

人は、いる場所によって見え方も考え方も変わる。

 

 

昔、毎日お酒を飲んでいた頃、お酒を飲めない人のことを「なんて可哀想な人なんだ」って思ってた。

お酒の習慣がなくなった今、お酒を飲まずにいられない人を「毎日飲まなきゃいけないなんて、めんどくさそうだな」って思う。

 

 

自分の所属する環境によって、見え方も考え方も変わる。

 

 

教員時代、辞めたらどうなるかを考えると怖かった。

1年経った今は、続けていたらどうなっていたかを考えると少し怖い。

 

 

生徒の見本になりたいと思ったから、辞表を出した。

 

 

なにげに、この1年沢山の人にお世話になった。

そのお世話になった人たちのおかげでやってこられた。

色んな人にも出会えた。

 

考え方も多少変わった。

 

 

「サラリーマンとして、できるだけ沢山のお給料をもらって生きる」だけじゃなくて。

 

なんか、時間と体を、何かのために使いたい。

 

そんなふうに思いました。

 

 

 

 

 

(`・∀・´)

もちろんお金は大事よな。

収入が激減したおかげで、メルカリとかウーバーとか始めるようになったよ

↑ メルカリに出品して3秒後に、23,000円で売れたPS4

↑ 意外とゲームのようで楽しいUberEats。

 

お誕生日のイラスト完成

f:id:viag-white:20220308162234j:plain

1月の末に描き始めて、1ヶ月半くらい。

ちょこちょこ描いてて、先ほどようやく完成しました。

 

姪っ子の6歳の誕生日プレゼントとして。

 

平日は、とびの仕事から帰ると、疲れて描くことができず。

主に休日に描いてました。

 

絵を描く人はわかると思うのですが、絵を描く作業って『面倒くさい』ことが多いんですよね。

 

ノって描けると、早いし楽しいのですが、ノリ損ねるとなかなか進まなかったりする。

 

今回は、どちらかというとなかなかノレなかったので、時間がかかった。

 

ダラダラとした作業が多かった。

 

 

 

 

それでも、僕は知っています。

 

 

 

 

 

『たとえダラダラとした作業であったとしても、投げ出さずに続けていれば、必ず完成に近づく。必ず完成する。』

 

 

 

 

 

ということをね。

 

いつからか、そう確信するようになった。

 

もちろん、集中して濃い時間の中で仕事や勉強ができることが望ましい。

 

でも、人間いつだってそううまくいくとは限らない。

 

それは、誰が悪いわけでもない。

きっとそういうものだ。

 

 

だから集中できずにダラダラしてしまうとしても、その状況ならその状況なりにやればいいのだ。

 

濃い時間の中で仕事ができれば越したことはない。

しかし、薄い時間であっても、進むのだ。

投げ出さずにやれば、いつかゴールに届くのだ。

 

 

いつからか、集中できない自分を責めることは無くなった。

 

 

それならそれなりに進めばいいのだ。

 

 

 

 

 

終盤は、ノリノリで作業できた。

総じて、楽しい作業だった、と思える。

 

こういう機会をくれる姪っ子と、姪の親である姉と、義兄に感謝でもするか。

 

 

 

 

先ほど、LINEで送ったら、喜んでくれた。

姉が。

 

姪はまだ保育園かな。

 

 

 

 

数日前に『誕生日の絵がまだ届かない!!』と言ってたそうだ。

 

まっててくれたのか。

嬉しいな。

 

 

意外と、喜んでもらうことってあるんだ。

 

それも思う。

 

自分では気づかないけど、喜んでもらえることって、あったりするんだ。

自分にとっては、当たり前でとるに足らないと思っていても、誰かからは喜んでもらうに値する、そんなことってあるのかもしれない。

いや、あるのだ。

そう思った。

 

 

 

うれしい。

ありがたい。

ありがとう。

 

 

 

 

①描き始め

こんな感じにしようってイメージする。

この時が一番楽しい。

頭の中では、もう完成している。

以降は、その完成イメージをできるだけ100%再現する。

持っている技術の範囲でね。

風呂敷を広げる段階。

f:id:viag-white:20220308162240j:plain

f:id:viag-white:20220308162244j:plain

 

 

②線画

先々の作業に不安になりつつやる。

だから作業が遅い。

f:id:viag-white:20220308162248j:plain

 

 

③色つけ

そういえば、姪はシナモンちゃんが好きだったことを思い出したので、描き加える。

f:id:viag-white:20220308162251j:plain

 

④背景

今回は、背景にも挑戦。

YouTubeで描き方をチェック。

便利。

f:id:viag-white:20220308162255j:plain

 

⑤完成

f:id:viag-white:20220308162234j:plain

 

教師辞めて10ヶ月経った。その2『高いとこは怖い』

f:id:viag-white:20211219123853j:plain

何度も同じことを思うけど、早いです。

教師辞めて、もうすぐ1年が過ぎようとしています。

 

今ごろ、学校では入試業務もひと段落して、来年度の人事発表がそろそろ行われるころでしょうか。

 

そしたら、来年度の時間割作成とか始まって。

 

来年度にむけていろいろ動き出す時期でしょうね。

 

 

僕は、ずっと鳶として仕事をしています。

今までは、「地走り」といって、主に地上で資材を持って走るような仕事がほとんどでした。

 

しかしこのところ、その日のメンバー構成によっては、僕が足場の高いところでの作業を任されるときもありました。

 

鳶を始めたときから、いつかはやらなきゃいけないと思っていたし、最終的にはできるよういんならなきゃいけないと思っているのですが、やはり怖い。

 

マンションの階数でいえば、大体12〜13階くらいの高さなのでしょうか。

 

手すりもない足場に立って、重い資材を扱うのは、本当に怖い。

 

ちょっとね、「死」が頭をよぎります。

 

f:id:viag-white:20220208182654j:plain

こえーよ!!!

 

「自分が落ちること」はもちろん怖いのですが。

 

もっと怖いのは。

 

「モノを落とすこと」です。

 

けっこう重い鉄の支柱とか、足場の上で扱わなきゃならないのですが、それは地上で扱うのとは、全く意味がちがってきます。

 

もし万が一、ちょっとでも手をすべらしたりしたら、即「事故」。

 

本当に地上とは世界が違った。

 

このプレッシャーは、なかなかです。

 

 

それでも1日目よりは2日目、それよりも3日目、という調子で、慣れてはきます。

それでもやはり緊張する。

 

辞めるまでには、一人前にできるようになる。

 

すごい世界だ。

 

 

 

鳶の仕事も、もう半年を過ぎた。

 

不思議なもので、今更ながら環境の変化にびびってる。

 

仕事内容、人間関係の変化にびびってる。

 

 

もう教員の道からは、軌道が変わったのだ。

ということを、いよいよ実感した気がして。

今更ながらびびることがある。

 

 

 

これからどうするか。

一体何をやっているのか。

これでいいのか。

 

毎朝、目が覚めるとそんな思いがまず浮かぶ。

 

不思議と「神様」と祈る。

 

特定の神様ではなくて、なんかこの世の全体のような何かに対して、祈ってしまう。

 

 

1日1日を乗り越えるのは、実はそれほど苦では無い。

(高いとこの仕事はきついが。今日は高いとこじゃありませんようにって毎日思う)

 

でも、その日々がどこに向かうのか。

 

f:id:viag-white:20211219123856j:plain

 

自分が若い頃は、歳をとることなんてまるで考えてなかった。

 

子供のころに夢想してた理想の自分とは、なんだかかけ離れている気がする。

 

 

それは、多分、その未来を明確にすることもなく、実行することもなくきたから。

多分、親の影響、環境の影響を拭うこともせず。

そもそも気づかず。

その場その場だけで得なことを選ぼうとして。

安心しきってきたから、と思います。

 

驚くほど、安心しきっていたと思う。

 

 

 

 

もうすることは、一度でもいいから、未来に対してナスことを明確にして。

成していく、という経験をしてみたい。

何をナスか。

それはだれも教えてはくれないらしい。

へー。

 

 

 

 

 

早い。

昨年、学校を辞めるとき、半ば社交辞令だろうけど、「卒業式には来てくださいね」と言ってくれた同僚の先生がおりました。

 

まぁ行けないだろうな。

 

まだ何もつかんでないっていうか。

 

ひろゆきなら、「つかむって何すか?」とか言うのかな。

「具体的にどういう状況すか?」とか言うのかな。

 

 

 

 

 

僕は、生徒の見本になりたいと思った。

サラリーマン教師をしているだけでは、見本になりえないと思った。

生徒にお得情報を与えるだけでは、生徒のためになってないと思った。

 

その思いは今でも変わっていません。

 

だから、私にとって、教師は辞めざるを得なかったと思います。

 

 

 

 

 

 

教師辞めて10ヶ月が経った。その1『イラストを贈る』

f:id:viag-white:20220208181826j:plain

 

この時期は毎年、最愛の姪っ子の誕生日に向けて、プレゼントのイラストを描いています。

6歳になります。

本人は喜んでくれているのか、わからないけれど。

まぁ一生懸命描いてます。

 

 

昔、クラス担任をもっていたとき、毎年困っていたことがありました。

それが・・・。

 

『修了式』とか『卒業式』でクラスの生徒に話したいことが何もない!!

 

ということでした。

 

 

 

これは何も、生徒たちのことを蔑ろにしてたわけではありません。

 

むしろ本当に言いたかった本音を言ったとするならば・・・。

『君たちを愛しています』

『君たちはかけがえのない存在です』

・・・と言ったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言えるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言えねーよ!!!!!!

 

言えるわけねーだろっ!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと言ったところで、絶対に聞かないし!!

「なんか言った?」ってなるし!!

生徒たちが「あー早く終わらねーかな」って態度をしているのが目に浮かぶ!!!

きーーーーーっ!!!

 

 

 

 

いや、なんていうか。

 

ボクは、金八ティーチャーのように熱血でもなかったし、とことん生徒に関わるなんていう先生でもなかった。

 

だってそもそも、「教師が生徒にやることなんて、9割大きなお世話」と思ってたから。

 

数学の授業さえできればそれでよかった。

 

当時は、「教師の指導は多岐にわたるべきなのに、授業にしか関心の持てない自分」を責めてたりしてました。

 

でも今のボクの意見は、ハッキリと変わっています。

 

「教師のやることなんて9割が大きなお世話」

 

授業で沢山。

 

 

全部、生徒自身がその人生の中で、ぶつかってやっていけばいいのです。

 

どうして、学校の教師が人生について教えられましょうか。

 

人は一人一人違う。

生き方は無限のようにある。

あなたと私はちがう。

生徒と教師はちがう。

 

あなたの生き方の中で、どうして誰かの生き方を語れようか。

 

ボクにはどうしても理解ができませんでした。

 

もちろん、生徒から救いを求めるときには、アホなサラリーマン教師としての全力でもって対処したつもりではあるけど。

 

そうでない平常時に、どうして「指導」なんかできようか。

 

f:id:viag-white:20220129200631j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

まぁそんなわけで。

要するにボクは「面倒見のよくない教師」と思われていただろう。

 

 

だからといって、生徒を好きじゃなかったわけではなかったんですよね。

 

むしろ自分が歳をとればとるほど、子どもや生徒の存在がとても大切に感じるようになりました。

 

だから

「君たちを愛しています」

「君たちはかけがえのない存在です」

「腐ったミカンじゃねーです」

「これからお前たちを殴る」

くらいしか、言うべきことってないと思うんだよね。

 

しかし、面倒見のわるいサラリーマン教師である私の言葉は伝わらないんだよね。

 

そもそも私は、そういう言葉ってウソくさいと思ってしまうんですよね。

 

 

 

だから、いつの時からか、一応そういう想いを込めて、絵を贈るようになりました。

 

f:id:viag-white:20220206214101j:plain

f:id:viag-white:20220206214111j:plain

f:id:viag-white:20220206214116j:plain

 

自分でいうのも何だけど、よく雰囲気を捉えてる。

ンですよ。

他人にはぴんと来るはずもないですが。

 

 

これ30人分描き分けるのって本当に大変だったなぁ。

 

今の時期くらいから描き始めてましたね。

 

 

 

生徒は驚いたり、喜んだり、笑ったり、ノーリアクションだったり。

 

 

 

 

結局、ボクは金八のように慕われるような先生にはなれなかったな。

一時期、そういう先生になることに憧れていました。

 

生徒から慕われて感謝されるような、そういうのに憧れていた。

 

でも、なれなかったな。

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、今思い出した。

ボクは一時期『自分のクラスがまとまらない』という悩みで、ノイローゼのようになって。

ドラマのように生徒から慕われて、団結力のあるクラスに憧れて。

でもできなくてノイローゼのようになって。

とある心理カウンセラーの主催するセミナーに参加したことがありました。

ameblo.jp

そのときに対面に座ったおばさんにこう言われた。

 

 

「どうしてクラスがまとまらなきゃいけないんですか?」

「普通のクラスじゃダメなんですか?

 

 

あぁ、今なら思える。

 

 

「いいに決まってるじゃねーですか」

 

 

でも、そのときには思えなかった。

なんだか、そうでなくちゃいけないのだ!!って囚われてた気がする。

 

 

 

 

 

 

っていうか、教師は生徒から感謝なんかされちゃダメとさえ思う。

 

↓なんかそんなことが書いてあった気がする。

 

教師のやることは9割が大きなお世話。

(言い過ぎか?)

 

 

その人なりにやりゃいいんだよ。

 

 

 

いいに決まってるじゃねーですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒自身の課題を奪いたくなかった。

f:id:viag-white:20220129200551j:plain

金八先生

f:id:viag-white:20220129200554j:plain

滝沢先生。

f:id:viag-white:20220129200627j:plain

キタノ先生。

f:id:viag-white:20220129200631j:plain

イワモト先生。(私)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『生徒に対して余計なことをしたくない』

 

 

 

推薦入試を見越して、ボランティア活動を義務づける(!?)ことも。

大学の志望理由書を作成させるために、志望理由を作らせる(!?)ことも。

志望校を探させることも。

勉強させる(!?)ことも。

 

 

 

どこまで行っても、本人が必要を感じたときがそのときであって。

 

大抵、必要を感じるときというのは、壁にぶつかったときで。

 

本人が壁を感じていないのに、あるいは必要を感じていないのに、大人が先回りをして課題を与える(もしくは取り上げる)ことはは、結果として本人の気づきを遅らせるだけのように思いました。

 

本人の課題を先送りにしてしまうだけのように思いました。

 

 

 

 

生徒自身の課題が、教師や親の課題に置き換わってしまっている。

 

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

失敗を選ぼう。

f:id:viag-white:20220119190618j:plain

なぜかこの体を得て、この地球にきた。

どうせ死ななきゃいけないのに。

いずれ体も動かなくなるだろうし、頭も回らなくなるだろうに。

 

どうしてだろう。

 

やっぱ、「行動したいから」なんじゃないかなと思う。

 

「行動」といっても、NIKEのコマーシャルのようにアグレッシブな行動である必要もないし、Appleのコマーシャルのようにオシャレで知的な行動である必要もない。

 

 

 

 

でも、なんで「なんかもっと色々やっておきたかった」って思うんだろう。

 

 

 

 

どう思われるか怖いとか。

失敗するのが怖いとか。

恥ずかしいとか。

こんなこと価値がないとか。

 

 

 

そういうことだと思うけど。

 

 

この歳になってつくづく思うけど。

 

 

「やってみようかな」って思ったことをやらなかったことを満足できることってない。

 

 

そのときは、億劫だったり、結果が怖かったり、周りの目を気にしたりしちゃうけど。

実際にやってみて、恥をかいたりするかもしれないけど。

実際にやってみて、自分のダメさに悶絶しちゃうかもしれないけど。

 

 

少なくても、「やってみようかな」って思ったことをやらなかったことを満足できることってない。

 

 

 

 

 

多分、僕が若いころに知らなかったのは、「すでに人生は始まってた」ってこと。

 

 

 

中学生のときのとある一日は、人生の中でのその一日だった。

って感じ?

だからその日にスルーした行動は、もう戻らない。

 

 

僕はHSPです(自称)。

 

だからなんだか怖がりで、色々なことが億劫に感じてしまってきた。

その分、行動を避けてしまう。

経験が不足する。

 

 

経験が不足する。

これは怖いことだと思う。

 

 

 

目の前の恥より、目の前の失敗よりも、「経験の不足」ほど怖いものはないと思う。

 

 

 

だって経験は人生そのもので、経験は学びで、経験は成長だから。

 

 

 

もっと失敗を選ぼう。

 

 

いっちょ失敗するか。

いっちょ恥をかいてみるか。

いっちょ怒られてみるか。

いっちょダメな自分を見てみるか。

 

 

自分から「いっちょマイナスに飛び込んでやるか」っていう気持ちで、さっさと行動した方が、人生の満足度は高い。

 

 

で、たった一度の人生にとって満足度よりも重要なものってない気もする。

 

 

 

「失敗は悪いこと」は嘘だ。

「怒られるのは怖いこと」も嘘。

「恥かしいやつだな」それは言ってるやつがヘナチョコなだけ。

 

 

 

だいたい失敗なんてないし。

怒るやつは、自分の価値観を大事にしてくれないって駄々こねているだけだし。

 

 

あぁ、学校には「正解と不正解」が蔓延してたと思う。

 

もう、テストを飛び越えて。

 

「正解と不正解」

「成功と失敗」

「良いと悪い」

 

どこもかしこもそうだった。

 

ちょっとやり過ぎでしょ。

 

 

そんなんしたら、人生でもっとも大切な「行動」ができなくなっちゃうよ。

 

 

 

赤ちゃんとか幼児って、「やってみたい」で溢れてるよな。

多分あれが、地球に生まれてきた人間の本質なんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

おとといも、演劇のオーディションを受けました。

もう何度落ちたろう。

自作のショートコントをしたけどね。

失笑でした、はい。

しるか。

 

前回のネタは、笑ってくれたんだけどね。

でも落ちたけど。

しるか。

 

44歳でこんなことやっているのは、学校で言えば不正解で失敗でしょう。

しるか。

 

 

 

 

おととい、演劇のオーディションで隣に座った人が外国人の男性でした。

なんか年齢順に座らされるので、僕の一つ下の43歳の人。

f:id:viag-white:20220123134024j:plain

 

日本語は、話せるけど漢字が読めないらしく、課題の台本を渡されてテンパってました。

僕がふりがなを教えて、必死にメモってた。

 

「こんなんじゃ受かるわけないよね。へへへ」

 

とか言ってた。

f:id:viag-white:20220123134028j:plain

自己PRで彼は特技を披露した。

 

習って3ヶ月の「ジークンドー」。

 

しかもこの前に、20歳くらいの子が本格的な「ジークンドー」を披露してて、みんな「おーすげー」ってなった後に、

 

「ワタシもジークンドーやってます」

 

とか言って、披露してた。

 

すごい勢いで蹴りとかパンチをブンブン振り回して、最後にまわし蹴りをやったんだけど、どう見ても床でのたうちまわっている人にしか見えなかった。

f:id:viag-white:20220123134033j:plain



しかし、ウケてたよ。

 

悪びれず、習って3ヶ月のジークンドーを特技と言い張り、勢いで押し切る。

 

43歳の外国人。

 

こういうの好きだなぁ。

 

 

いよいよ演技審査というとき、審査員が「字は読めますか?」と聞いた。

 

彼は「読めません」と答えた。

 

審査員が「どの字が読めないの?」ときくと。

 

 

「字が小さくて読めないです」

 

 

老眼のほうかよ!!

 

 

一体、どういう経緯で、日本のここに来たんだろう。

 

 

僕はこういう人のあり方に憧れる部分がいつもある。

僕自身はいつでも人の目を気にしてきた気がする。

彼のように、悪びれず、勢いよく、やってみる。

そういうあり方にとても憧れる。

 

 

字が読めなくて、特技は3ヶ月のジークンドーで、43歳の外国人が、なぜかここでオーディションを受けている。

 

これって、正解なの?不正解なの?

 

学校ではどう教えるの?

 

 

 

ちなみに僕はまた落ちたけど、彼は受かったかな?

なにせ、すごいウケてたからな。