教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。やめました。こじらせ。こじこじ。

結局変わらないなぁと思った

いきなり更新。

 

 

前々回の記事で「教師やめて1年経った」的なことを書いているけど、4年たった。

早っ。

 

 

早過ぎてほんとに怖いです。

この4月で教師やめて丸4年たってしまいました。

はやい。

 

 

また更新をはじめようと思った理由は、『なんか埒があかないから』。

というのが、正直なところでしょうか。

 

 

ジャーナリングという「思ったことをただただノートに書き出す」ということをやっていますが、昔はこれをやっていると『あぁこんなことを自分は考えていたのか!!』というような気づきは確かにありました。

 

 

無意識の思い込みに気づくようなことも何度かあり、また思考や感情の整理にも役に立っていたのは確かです。

 

 

しかし、このところどうもどんなに書いてもなにも進展していないような気がして、同時に現状というようなものもなんだか停滞していて怖く、正直何をしていいのかわからない気がしています。

 

 

なのでどうせノートに書くなら、またここにも書いてみようと思いました。

 

 

再開するにあたって、以前の記事の中で明らかに個人が特定される・されそうなものは非公開にしてみました。

 

 

できれば本音で自由に書いてみたかったからです。

 

 

できれば、そうですね・・・・遺書くらいに素直に正直に書きたいことを書いてみたい。

そんな気持ちで今はいます。

 

 

どうせ必ず死ぬなら、正直になる場所があっていいと思うから。

(↑もちろん死ぬまで生きるという意味の「死ぬ」です)

 

 

どうせ死ぬなら正直になる場所があっていいと思う。

 

 

そうですね、遺書を書きたいです。

ここに遺書を残したい。

あー、遺書、書きてぇー。

書きてーな、遺書。

(*´∀`*)

 

 

だからね。

個人が特定されそうなところは無くしてみます。

できるだけここが、ジャーナリングの場になるような。

そのくらい本音というか、正直なところを書ければいいかな。

そう思っています。

 

 

非公開にする記事を選別する作業の際に、以前の記事を見直しましたが。

教師を辞める前に書いた記事の数が思ったよりあったな、と思いました。

もう一つ思ったのが。

 

辞めたあとに書いた記事が、素直な本心で書けてないなっていうことです。

 

なんかね。

 

”給料しか収入源のない仕事に膿んだサラリーマン教師が、仕事をやめてやりたいことをやり始めたら、潜在意識の書き換えとともに引き寄せの法則によって好きな演劇でも成功して、自由なライフスタイルで生活できて収入もサラリーマン教師時代よりも増えました”

 

 

的な流れになりそうな臭いを漂わせたい感じの書き方になっていたと思うんだよね。

 

 

そういう臭いを漂わせたい感じになっていた気がするんです。

やりたかった演劇に関する写真とかも載せてて、「なんかうまくいってるじゃん」的な感じを演出させたい感じ。

 

↑そういう気持ち、否定しないよ。

人間らしくてかわいいじゃん。

(自分のことだけど)

 

 

そう僕は、引き寄せに成功したかった。

 

 

なんか、仕事やめて一度どん底に落ちて、そこから潜在意識の書き換えに自力で取り組んでからの。

 

 

引き寄せに成功したかった。

 

 

そして、それをあなたにみてほしかった。

(*/ω*)キャー!!

 

 

さらに、あなたに影響を与える立場になりたかった。

(*/ω*)キャー!!

(*/ω*)キャー!!

 

 

なんなら、それが収入源になりたかった。

(*/ω*)キャー!!

(*/ω*)キャー!!

(*/ω*)キャー!!

(*/ω*)キャー!!

 

 

 

それがまぁ、はっきり言って偽らざる本音だと思います。

少なくとも部分的にはね。

 

 

ちなみに、僕はいわゆる引き寄せの法則と言われる話や、その周辺の話には肯定的な立場です。

潜在意識というものがあって、そこに刻まれたビリーフ(思い込み)が、その人の現実世界に反映されている。

という考え。

 

これは実際そうだと思うよ。

 

 

で、私はさ。

子どものころ、両親の仲が安定せずケンカやトラブルが多くて。

反抗期を受け止めてくれるだけの余裕を家庭に見出せなくて、自立した価値観を構築する機会を逃してきた。

また、母親が過干渉でもあり、選択する経験とか、失敗する経験を逃してきた。

 

それだけが原因でもないかもしれませんが、生きづらさみたいなものはずっとあったと思います。

 

特に教員時代の大きなつまづきをきっかけに、自己啓発・引き寄せ・潜在意識・スピなどを学びました。

 

 

一時は、そのおかげで難局を乗り越え、自分でも実力以上の何かのおかげと感じるような、ある程度の成果も得ることがありました。

 

また、その過程で『確実に成長した』実感を得ました。

 

自分、他人、人生、人間、世界、そういった根幹に関する見方が確実に成長した。

 

これはまちがいなく、自己啓発・引き寄せ・潜在意識・スピなどを学んだおかげです。

 

 

で。

デ。

そんなことを学んでいるうちに。

 

 

 

いつの間にか、憧れていたんですよね。

 

 

何にって、引き寄せマスターに。

 

 

まぁ、引き寄せマスターって言葉が適切かは分かりませんが、言いたいことはわかるでしょ?

私を救ってくれた、幾人もの引き寄せマスター。

 

彼らは、本の著者だったり、HPの運営者だったり、講演者だったり。

(当時は動画発信者っていうのは、ほとんどなかった。)

 

 

今ほど、情報発信者の数は多くはなく、無名な方も存在してました。

その分、今よりはるかにアングラな感じがあって、この世界を一皮剥いたら現れる真実の姿がそこに書かれている感じがすごいした。

そして、それは事実だと思う。

 

 

この世界は映画『マトリックス』みたいに、実際に僕たちが当然のこととして見ている姿と、真実の姿はまるで違っている。

 

 

お金ってなんなのか?

どうして、存在するのか?

どうして、お金が欲しいのか?

どうして、学校で教えていることは、それなのか?

どうして、いい成績をとることがいいことなのか?

どうして、近くにいる人より優れていたいと思うのか?

どうして、誰かが失敗すると安心を感じるのか?

どうして、親は怒鳴ったのか?

どうして、親は不機嫌な態度になったのか?

どうして、親は「この家は私のおかげで回ってる」と子どもに言ったのか?

どうして、誰かが成功すると焦るのか?

どうして、だらしない自分を責める気持ちになるのか?

どうして、誰かと自分を比較しては責めるのか?

どうして、あの先生のようにクラスをまとめられないことで、自分を責めるのか?

どうして、熱血教師じゃない自分を責めたのか?

どうして、4月の学年スタート時には「今年こそは頑張る!!」と張り切っていても、6月には息切れして、結局「もういいや」と流しモードでやり過ごし、1年の終わりに「今年もダメだった」と後悔と自責の念にかられるのか?

どうして、がんばった自分を誇れないのか?

どうして、SNSで実績を出している教師を見ては苛立つのか?

どうして、あの人よりうまくできそうもないと思うと、そもそも行動をしなくなるのか?

どうして、世界はこうなのか?

 

 

この世界は、子どもの頃から「あたりまえ」と思うことすら不可能なほどに「あたりまえ」になりきっていることがあって、実はそれらは全て、疑うに足ることだ。

 

 

自分を責めて、人と比べて、いい成績とって、結果を出して、勝って、負けて、税金払って、少しでもいい環境を求めて、少しでも良く見られること目指して、人から羨んでほしいために行動して、うまくいけば喜び、人を見下し、うまくいかなければ自分を見下し・・・・・・

 

そんなことをするために私は生まれてきました。

 

 

っていうようなことは全て、疑うに足ることだと。

ほんとにそんなことのために世界はあるのかな?

 

 

で、私はそんなようなことを学んで考えて、ある程度の難局を乗り越えた、と。

 

あぁ、話が繰り返しになってしまった。

スミマセン。

スミマセン。

 

 

で。

 

当時、そういうことを発信している人って。

 

 

自身がすごい苦しい経験をして。

(病気、破産、失業、鬱病とか)

独学で、心理学や潜在意識などについてを学び。

本人の潜在意識が変化するとともに。

気づけば、収入も得られるようになり。

なんなら、以前よりも自由で豊かなライフスタイルを確立している。

 

 

というパターンがほんと多いんですよ。

 

 

で、私はそうなりたかったから教師を辞めた。

 

 

最初の①になるために、教師を辞めた。

 

 

ギャフン。

 

 

まぁ、辞めた理由はそれが全てでは決してないにせよ。

 

 

「きっと私も同じコースを行くのだろう」くらいのことは考えていました。

 

なにせさっき書いたように、教員時代に1度引き寄せで成果を出したと思っていましたから。

 

で、結果、教師やめて4年経った今、どうかというと。

 

 

 

潜在意識?、変わってねーと思うwwww。

 

 

 

あぁ、ようやくタイトルの本題に入れました。

 

 

この4年間は、昔から興味のあった演劇で役者として舞台に立ったり、お金が心配でウーバーやったり、人に勧められて鳶職やったり、エキストラとしていろんな撮影現場に参加させてもらったりしていました。

 

それから、無職ってすごい無気力になるもので、『マジで1日中YouTubeショートを眺めて終わってしまう』っていうような日が、何日も何日も何日も何日もありました。

 

マジでマジでマジでもったいないと思います。

 

そして、潜在意識系の動画を漁ったり、ジャーナリングばかりやったりしました。

瞑想も取り入れたり、取り下げたりしました。

朝活も取り入れたり、取り下げたりしました。

 

 

きっとオレには、まだ人生を邪魔している思い込みがあるんだ。

それをジャーナリングや瞑想や内観や読書で、拭い去れば。

マネーゲーム本」に書いてあった「リアクションモード」にいつか入れるんだ。

どっかの本に書いてあった「ボーナスステージ」にいつか入れるんだ。

「ニューアース」に書いてあったエゴのない「情熱を燃やす」状態になるんだ。

自分のやりたいことがわかり報酬を求めずにただそれをやり、でもそれが報酬を呼ぶ状態になるんだ。

 

 

そんなふうに思ってきました。

 

でーも。

 

つまりそんなふうになってないのさ。

 

くりかえし言うけど、潜在意識とか引き寄せを否定してるんじゃなくて、私ができてないっていうことね。

 

 

そ。

そんなふーになってないんだ。

いまだに。

 

 

としだけとってしまった気がして苦しい正直。

 

 

7月1日追記

という所まで下書きしてて放置していました。

読み返すと何が言いたいのかよくわからないですが、とりあえずこのままあげてみます。

要はこの4年間、ジャーナリングだの引き寄せだのやってみて、やりたかった演劇などに取り組んだけど、モノにならんカッタっていうことだよね。

引き寄せマスターみたいになりたかったけど、それもダメじゃねってことだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お誕生日のイラスト完成

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1月の末に描き始めて、1ヶ月半くらい。

ちょこちょこ描いてて、先ほどようやく完成しました。

 

姪っ子の6歳の誕生日プレゼントとして。

 

平日は、とびの仕事から帰ると、疲れて描くことができず。

主に休日に描いてました。

 

絵を描く人はわかると思うのですが、絵を描く作業って『面倒くさい』ことが多いんですよね。

 

ノって描けると、早いし楽しいのですが、ノリ損ねるとなかなか進まなかったりする。

 

今回は、どちらかというとなかなかノレなかったので、時間がかかった。

 

ダラダラとした作業が多かった。

 

 

 

 

それでも、僕は知っています。

 

 

 

 

 

『たとえダラダラとした作業であったとしても、投げ出さずに続けていれば、必ず完成に近づく。必ず完成する。』

 

 

 

 

 

ということをね。

 

いつからか、そう確信するようになった。

 

もちろん、集中して濃い時間の中で仕事や勉強ができることが望ましい。

 

でも、人間いつだってそううまくいくとは限らない。

 

それは、誰が悪いわけでもない。

きっとそういうものだ。

 

 

だから集中できずにダラダラしてしまうとしても、その状況ならその状況なりにやればいいのだ。

 

濃い時間の中で仕事ができれば越したことはない。

しかし、薄い時間であっても、進むのだ。

投げ出さずにやれば、いつかゴールに届くのだ。

 

 

いつからか、集中できない自分を責めることは無くなった。

 

 

それならそれなりに進めばいいのだ。

 

 

 

 

 

終盤は、ノリノリで作業できた。

総じて、楽しい作業だった、と思える。

 

こういう機会をくれる姪っ子と、姪の親である姉と、義兄に感謝でもするか。

 

 

 

 

先ほど、LINEで送ったら、喜んでくれた。

姉が。

 

姪はまだ保育園かな。

 

 

 

 

数日前に『誕生日の絵がまだ届かない!!』と言ってたそうだ。

 

まっててくれたのか。

嬉しいな。

 

 

意外と、喜んでもらうことってあるんだ。

 

それも思う。

 

自分では気づかないけど、喜んでもらえることって、あったりするんだ。

自分にとっては、当たり前でとるに足らないと思っていても、誰かからは喜んでもらうに値する、そんなことってあるのかもしれない。

いや、あるのだ。

そう思った。

 

 

 

うれしい。

ありがたい。

ありがとう。

 

 

 

 

①描き始め

こんな感じにしようってイメージする。

この時が一番楽しい。

頭の中では、もう完成している。

以降は、その完成イメージをできるだけ100%再現する。

持っている技術の範囲でね。

風呂敷を広げる段階。

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②線画

先々の作業に不安になりつつやる。

だから作業が遅い。

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③色つけ

そういえば、姪はシナモンちゃんが好きだったことを思い出したので、描き加える。

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④背景

今回は、背景にも挑戦。

YouTubeで描き方をチェック。

便利。

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⑤完成

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教師辞めて10ヶ月経った。その2『高いとこは怖い』

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何度も同じことを思うけど、早いです。

教師辞めて、もうすぐ1年が過ぎようとしています。

 

今ごろ、学校では入試業務もひと段落して、来年度の人事発表がそろそろ行われるころでしょうか。

 

そしたら、来年度の時間割作成とか始まって。

 

来年度にむけていろいろ動き出す時期でしょうね。

 

 

僕は、ずっと鳶として仕事をしています。

今までは、「地走り」といって、主に地上で資材を持って走るような仕事がほとんどでした。

 

しかしこのところ、その日のメンバー構成によっては、僕が足場の高いところでの作業を任されるときもありました。

 

鳶を始めたときから、いつかはやらなきゃいけないと思っていたし、最終的にはできるよういんならなきゃいけないと思っているのですが、やはり怖い。

 

マンションの階数でいえば、大体12〜13階くらいの高さなのでしょうか。

 

手すりもない足場に立って、重い資材を扱うのは、本当に怖い。

 

ちょっとね、「死」が頭をよぎります。

 

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こえーよ!!!

 

「自分が落ちること」はもちろん怖いのですが。

 

もっと怖いのは。

 

「モノを落とすこと」です。

 

けっこう重い鉄の支柱とか、足場の上で扱わなきゃならないのですが、それは地上で扱うのとは、全く意味がちがってきます。

 

もし万が一、ちょっとでも手をすべらしたりしたら、即「事故」。

 

本当に地上とは世界が違った。

 

このプレッシャーは、なかなかです。

 

 

それでも1日目よりは2日目、それよりも3日目、という調子で、慣れてはきます。

それでもやはり緊張する。

 

辞めるまでには、一人前にできるようになる。

 

すごい世界だ。

 

 

 

鳶の仕事も、もう半年を過ぎた。

 

不思議なもので、今更ながら環境の変化にびびってる。

 

仕事内容、人間関係の変化にびびってる。

 

 

もう教員の道からは、軌道が変わったのだ。

ということを、いよいよ実感した気がして。

今更ながらびびることがある。

 

 

 

これからどうするか。

一体何をやっているのか。

これでいいのか。

 

毎朝、目が覚めるとそんな思いがまず浮かぶ。

 

不思議と「神様」と祈る。

 

特定の神様ではなくて、なんかこの世の全体のような何かに対して、祈ってしまう。

 

 

1日1日を乗り越えるのは、実はそれほど苦では無い。

(高いとこの仕事はきついが。今日は高いとこじゃありませんようにって毎日思う)

 

でも、その日々がどこに向かうのか。

 

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自分が若い頃は、歳をとることなんてまるで考えてなかった。

 

子供のころに夢想してた理想の自分とは、なんだかかけ離れている気がする。

 

 

それは、多分、その未来を明確にすることもなく、実行することもなくきたから。

多分、親の影響、環境の影響を拭うこともせず。

そもそも気づかず。

その場その場だけで得なことを選ぼうとして。

安心しきってきたから、と思います。

 

驚くほど、安心しきっていたと思う。

 

 

 

 

もうすることは、一度でもいいから、未来に対してナスことを明確にして。

成していく、という経験をしてみたい。

何をナスか。

それはだれも教えてはくれないらしい。

へー。

 

 

 

 

 

早い。

昨年、学校を辞めるとき、半ば社交辞令だろうけど、「卒業式には来てくださいね」と言ってくれた同僚の先生がおりました。

 

まぁ行けないだろうな。

 

まだ何もつかんでないっていうか。

 

ひろゆきなら、「つかむって何すか?」とか言うのかな。

「具体的にどういう状況すか?」とか言うのかな。

 

 

 

 

 

僕は、生徒の見本になりたいと思った。

サラリーマン教師をしているだけでは、見本になりえないと思った。

生徒にお得情報を与えるだけでは、生徒のためになってないと思った。

 

その思いは今でも変わっていません。

 

だから、私にとって、教師は辞めざるを得なかったと思います。

 

 

 

 

 

 

教師辞めて10ヶ月が経った。その1『イラストを贈る』

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この時期は毎年、最愛の姪っ子の誕生日に向けて、プレゼントのイラストを描いています。

6歳になります。

本人は喜んでくれているのか、わからないけれど。

まぁ一生懸命描いてます。

 

 

昔、クラス担任をもっていたとき、毎年困っていたことがありました。

それが・・・。

 

『修了式』とか『卒業式』でクラスの生徒に話したいことが何もない!!

 

ということでした。

 

 

 

これは何も、生徒たちのことを蔑ろにしてたわけではありません。

 

むしろ本当に言いたかった本音を言ったとするならば・・・。

『君たちを愛しています』

『君たちはかけがえのない存在です』

・・・と言ったでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言えるか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言えねーよ!!!!!!

 

言えるわけねーだろっ!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと言ったところで、絶対に聞かないし!!

「なんか言った?」ってなるし!!

生徒たちが「あー早く終わらねーかな」って態度をしているのが目に浮かぶ!!!

きーーーーーっ!!!

 

 

 

 

いや、なんていうか。

 

ボクは、金八ティーチャーのように熱血でもなかったし、とことん生徒に関わるなんていう先生でもなかった。

 

だってそもそも、「教師が生徒にやることなんて、9割大きなお世話」と思ってたから。

 

数学の授業さえできればそれでよかった。

 

当時は、「教師の指導は多岐にわたるべきなのに、授業にしか関心の持てない自分」を責めてたりしてました。

 

でも今のボクの意見は、ハッキリと変わっています。

 

「教師のやることなんて9割が大きなお世話」

 

授業で沢山。

 

 

全部、生徒自身がその人生の中で、ぶつかってやっていけばいいのです。

 

どうして、学校の教師が人生について教えられましょうか。

 

人は一人一人違う。

生き方は無限のようにある。

あなたと私はちがう。

生徒と教師はちがう。

 

あなたの生き方の中で、どうして誰かの生き方を語れようか。

 

ボクにはどうしても理解ができませんでした。

 

もちろん、生徒から救いを求めるときには、アホなサラリーマン教師としての全力でもって対処したつもりではあるけど。

 

そうでない平常時に、どうして「指導」なんかできようか。

 

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まぁそんなわけで。

要するにボクは「面倒見のよくない教師」と思われていただろう。

 

 

だからといって、生徒を好きじゃなかったわけではなかったんですよね。

 

むしろ自分が歳をとればとるほど、子どもや生徒の存在がとても大切に感じるようになりました。

 

だから

「君たちを愛しています」

「君たちはかけがえのない存在です」

「腐ったミカンじゃねーです」

「これからお前たちを殴る」

くらいしか、言うべきことってないと思うんだよね。

 

しかし、面倒見のわるいサラリーマン教師である私の言葉は伝わらないんだよね。

 

そもそも私は、そういう言葉ってウソくさいと思ってしまうんですよね。

 

 

 

だから、いつの時からか、一応そういう想いを込めて、絵を贈るようになりました。

 

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自分でいうのも何だけど、よく雰囲気を捉えてる。

ンですよ。

他人にはぴんと来るはずもないですが。

 

 

これ30人分描き分けるのって本当に大変だったなぁ。

 

今の時期くらいから描き始めてましたね。

 

 

 

生徒は驚いたり、喜んだり、笑ったり、ノーリアクションだったり。

 

 

 

 

結局、ボクは金八のように慕われるような先生にはなれなかったな。

一時期、そういう先生になることに憧れていました。

 

生徒から慕われて感謝されるような、そういうのに憧れていた。

 

でも、なれなかったな。

 

 

 

 

 

 

 

そういえば、今思い出した。

ボクは一時期『自分のクラスがまとまらない』という悩みで、ノイローゼのようになって。

ドラマのように生徒から慕われて、団結力のあるクラスに憧れて。

でもできなくてノイローゼのようになって。

とある心理カウンセラーの主催するセミナーに参加したことがありました。

ameblo.jp

そのときに対面に座ったおばさんにこう言われた。

 

 

「どうしてクラスがまとまらなきゃいけないんですか?」

「普通のクラスじゃダメなんですか?

 

 

あぁ、今なら思える。

 

 

「いいに決まってるじゃねーですか」

 

 

でも、そのときには思えなかった。

なんだか、そうでなくちゃいけないのだ!!って囚われてた気がする。

 

 

 

 

 

 

っていうか、教師は生徒から感謝なんかされちゃダメとさえ思う。

 

↓なんかそんなことが書いてあった気がする。

 

教師のやることは9割が大きなお世話。

(言い過ぎか?)

 

 

その人なりにやりゃいいんだよ。

 

 

 

いいに決まってるじゃねーですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒自身の課題を奪いたくなかった。

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金八先生

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滝沢先生。

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キタノ先生。

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(私)

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『生徒に対して余計なことをしたくない』

 

 

 

推薦入試を見越して、ボランティア活動を義務づける(!?)ことも。

大学の志望理由書を作成させるために、志望理由を作らせる(!?)ことも。

志望校を探させることも。

勉強させる(!?)ことも。

 

 

 

どこまで行っても、本人が必要を感じたときがそのときであって。

 

大抵、必要を感じるときというのは、壁にぶつかったときで。

 

本人が壁を感じていないのに、あるいは必要を感じていないのに、大人が先回りをして課題を与える(もしくは取り上げる)ことはは、結果として本人の気づきを遅らせるだけのように思いました。

 

本人の課題を先送りにしてしまうだけのように思いました。

 

 

 

 

生徒自身の課題が、教師や親の課題に置き換わってしまっている。

 

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

失敗を選ぼう。

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なぜかこの体を得て、この地球にきた。

どうせ死ななきゃいけないのに。

いずれ体も動かなくなるだろうし、頭も回らなくなるだろうに。

 

どうしてだろう。

 

やっぱ、「行動したいから」なんじゃないかなと思う。

 

「行動」といっても、NIKEのコマーシャルのようにアグレッシブな行動である必要もないし、Appleのコマーシャルのようにオシャレで知的な行動である必要もない。

 

 

 

 

でも、なんで「なんかもっと色々やっておきたかった」って思うんだろう。

 

 

 

 

どう思われるか怖いとか。

失敗するのが怖いとか。

恥ずかしいとか。

こんなこと価値がないとか。

 

 

 

そういうことだと思うけど。

 

 

この歳になってつくづく思うけど。

 

 

「やってみようかな」って思ったことをやらなかったことを満足できることってない。

 

 

そのときは、億劫だったり、結果が怖かったり、周りの目を気にしたりしちゃうけど。

実際にやってみて、恥をかいたりするかもしれないけど。

実際にやってみて、自分のダメさに悶絶しちゃうかもしれないけど。

 

 

少なくても、「やってみようかな」って思ったことをやらなかったことを満足できることってない。

 

 

 

 

 

多分、僕が若いころに知らなかったのは、「すでに人生は始まってた」ってこと。

 

 

 

中学生のときのとある一日は、人生の中でのその一日だった。

って感じ?

だからその日にスルーした行動は、もう戻らない。

 

 

僕はHSPです(自称)。

 

だからなんだか怖がりで、色々なことが億劫に感じてしまってきた。

その分、行動を避けてしまう。

経験が不足する。

 

 

経験が不足する。

これは怖いことだと思う。

 

 

 

目の前の恥より、目の前の失敗よりも、「経験の不足」ほど怖いものはないと思う。

 

 

 

だって経験は人生そのもので、経験は学びで、経験は成長だから。

 

 

 

もっと失敗を選ぼう。

 

 

いっちょ失敗するか。

いっちょ恥をかいてみるか。

いっちょ怒られてみるか。

いっちょダメな自分を見てみるか。

 

 

自分から「いっちょマイナスに飛び込んでやるか」っていう気持ちで、さっさと行動した方が、人生の満足度は高い。

 

 

で、たった一度の人生にとって満足度よりも重要なものってない気もする。

 

 

 

「失敗は悪いこと」は嘘だ。

「怒られるのは怖いこと」も嘘。

「恥かしいやつだな」それは言ってるやつがヘナチョコなだけ。

 

 

 

だいたい失敗なんてないし。

怒るやつは、自分の価値観を大事にしてくれないって駄々こねているだけだし。

 

 

あぁ、学校には「正解と不正解」が蔓延してたと思う。

 

もう、テストを飛び越えて。

 

「正解と不正解」

「成功と失敗」

「良いと悪い」

 

どこもかしこもそうだった。

 

ちょっとやり過ぎでしょ。

 

 

そんなんしたら、人生でもっとも大切な「行動」ができなくなっちゃうよ。

 

 

 

赤ちゃんとか幼児って、「やってみたい」で溢れてるよな。

多分あれが、地球に生まれてきた人間の本質なんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

おとといも、演劇のオーディションを受けました。

もう何度落ちたろう。

自作のショートコントをしたけどね。

失笑でした、はい。

しるか。

 

前回のネタは、笑ってくれたんだけどね。

でも落ちたけど。

しるか。

 

44歳でこんなことやっているのは、学校で言えば不正解で失敗でしょう。

しるか。

 

 

 

 

おととい、演劇のオーディションで隣に座った人が外国人の男性でした。

なんか年齢順に座らされるので、僕の一つ下の43歳の人。

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日本語は、話せるけど漢字が読めないらしく、課題の台本を渡されてテンパってました。

僕がふりがなを教えて、必死にメモってた。

 

「こんなんじゃ受かるわけないよね。へへへ」

 

とか言ってた。

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自己PRで彼は特技を披露した。

 

習って3ヶ月の「ジークンドー」。

 

しかもこの前に、20歳くらいの子が本格的な「ジークンドー」を披露してて、みんな「おーすげー」ってなった後に、

 

「ワタシもジークンドーやってます」

 

とか言って、披露してた。

 

すごい勢いで蹴りとかパンチをブンブン振り回して、最後にまわし蹴りをやったんだけど、どう見ても床でのたうちまわっている人にしか見えなかった。

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しかし、ウケてたよ。

 

悪びれず、習って3ヶ月のジークンドーを特技と言い張り、勢いで押し切る。

 

43歳の外国人。

 

こういうの好きだなぁ。

 

 

いよいよ演技審査というとき、審査員が「字は読めますか?」と聞いた。

 

彼は「読めません」と答えた。

 

審査員が「どの字が読めないの?」ときくと。

 

 

「字が小さくて読めないです」

 

 

老眼のほうかよ!!

 

 

一体、どういう経緯で、日本のここに来たんだろう。

 

 

僕はこういう人のあり方に憧れる部分がいつもある。

僕自身はいつでも人の目を気にしてきた気がする。

彼のように、悪びれず、勢いよく、やってみる。

そういうあり方にとても憧れる。

 

 

字が読めなくて、特技は3ヶ月のジークンドーで、43歳の外国人が、なぜかここでオーディションを受けている。

 

これって、正解なの?不正解なの?

 

学校ではどう教えるの?

 

 

 

ちなみに僕はまた落ちたけど、彼は受かったかな?

なにせ、すごいウケてたからな。

 

 

 

「この先どうなるんだろう。」って思うことは、悪くないと思う。

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毎日、鳶の仕事をしています。

 

40過ぎてからの体力仕事。

 

きっと教員時代の同僚が、僕が今、鳶の仕事をしていると知ったら、相当驚くだろう。

 

文化系キャラだったからね、ぼく。

(その割に運動部をガンガンあてがわれたけど)

 

人生経験のためにやっています。

 

いつまでやるのかな。

 

この先どうなるんだろう。

 

 

 

「この先どうなるんだろう。」

 

 

 

そんなふうに思うことって、多分とても大切だったんだと思います。

なんか今は毎朝目が覚めると、「この先どうなるんだろう」って思います。

 

悲観的には思わないけどね。

 

でもこれからどうやって生きていくのか。

それは気になる、っていうか考える。

 

もう鳶も半年になる。

早いなぁ、ホント。

その前は完全無職の3ヶ月だった。

教員辞めてから、もう10ヶ月だ。

早い。

鳶はいつかやめるでしょう。

 

そのときに自分の生きる方向がどうなっているのか。

 

悲観的ではないです。

でも、気になります。

焦りもあります。

 

どういう方向で生きるのか。

そういうものを掴めるのか。

 

 

教師辞めて10ヶ月。

早いなぁ。

もうすぐ1年。

 

 

 

「この先どうなるんだろう。」

 

 

 

ホントはできるだけ若いうちに、その疑問をもつといいんだろうと思います。

 

でも、僕を含め多くの場合、そんな疑問を持つ機会ってなかなか無いと思う。

 

 

多くの場合は、小学校、中学校、高校、大学などと進学していく。

 

その際には、将来を考えるよう課題とか与えられるような気もするけど。

でもそんなものでは・・・・。

 

 

「この先どうなるんだろう。」

 

 

っていう問いには届かないです。

 

 

学校とか会社とか、いわゆる「社会のレール」に乗っていると安心する。

だから

 

「この先どうなるんだろう。」

 

ってホントに考える機会って、社会のレールから少し離れたときにおとずれるんだと思います。

 

いまの僕は、その状態に近いのかな、と思う。

 

 

 

サラリーマン教師というレールにずっと乗っていました。

教師になる以前も、何も考えなくても、何もしなくても、物事が展開していった。

 

ずっと「教師辞めたいな」って思ってた。

けど、怖くてズルズルと続けた。

レールを降りるのが怖かった。

 

今は。

 

「この先どうなるんだろう。」

 

って、初めて思えている気がする。

 

本当はもっと若い時分にぶつかっておく問いだったとも思う。

 

 

でも、学生時代は。

なんとなく親がいて、安心してて。

なんとなく学校があって、安心してて。

なんとなく課題とかあって、安心してて。

なんとなく友人もいて、安心してて。

なんとなく毎日することがあって、安心してて。

なんとなく好きな人たちがいて、安心してて。

なんとなくムカつく先生がいて、安心してて。

 

ほんとうは、「安心している」ということさえ自覚してなくて。

 

 

 

もし「この先どうなるんだろう。」って心配するような状況にあるとしたら。

それは、それほど悪いことじゃないかもしれない、と思う。

 

だって重要な問いだから。

生き方を考えるチャンスと思う。

 

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今まで、不登校の生徒に何人も関わらせてもらった。

教室に通えない理由は人それぞれ。

っていうか、本人も理由を理解していないことの方が多いと思う。

 

僕は当時から「学校という仕組み自体が極めて特殊な擬似社会」だと思っていた。

 

だから彼らに「登校できるようになる」ことを目的として関わったことはなかった。

 

本人が「登校できるようになりたい」と口にする場合もあったから、もちろんできる範囲で協力した。

 

 

でも、あのとき彼らに本当に伝えたかったことは、そして実際に言葉として伝えていたことは・・・。

 

 

 

今の状況はチャンスなんじゃないの?

 

 

 

っていうことでした。

 

レールに乗って安心している人たちは、無自覚のまま時間だけが過ぎているのかもしれない。

 

だからせっかく学校に行っていないのだから、これはチャンスだと思った。

 

 

「この先どうなるんだろう。」

 

 

そう思うことは悪いことじゃないと思う。

 

でも多くの場合、不登校の子は、後ろめたく思っていたり、勉強を気にしていたり。

はっきり言って、そんなもの後からでもどうにでもなる。

勉強だってマジでいつだってできる。

 

だからせっかく学校に行っていないのだから。

好きなことをしたり、いくらでも自分に投資できると思ってた。

 

 

当時は、僕自身がまだレールを降りることに怯えていた。

だから、自分はレールに乗っているくせに、「レールから外れた」と思って不安がっている彼らに対して、あまり無責任なことは言えない気がした。

 

 

でももし今、彼らに話ができるとしたら。

 

 

 

「めっちゃチャンスやで!!!」

 

 

 

って、超言いたい。

 

 

 

人生でことを成した人って、どこかで「この先どうなるんだろう。」っていうのにぶつかっている人が、僕の知るかぎりでもやっぱ多い。

 

僕は、そんなの怖いから、ぶつからないで済むように、きた。

教職をとったのも多分そう。

 

そんな人、多いんじゃない?