教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。何だか目標を失って、辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

演劇に出演できることになりました。

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先日、受けた演劇のオーディションに合格できました。

 

よって、子どものころからのあこがれだった『演劇をする』ということが叶いそうです。

コロナのせいで公演中止とかにならなければね。

 

www.airstudio.jp

 

 

B班の大野役だす。

 

3年前の写真で、なんかぷっくりしてるし子どもみたいな顔やな。

 

とにかく、コロナの影響で中止ということがなければ、演劇ができます。

 

先日、台本もPDFで送られてきました。

 

 

 

子どものときから、なんか演劇に興味がずっとありました。

 

小学校1年生のときに、そのときの6年生が演劇会で演じた『魔法をすてたマジョリン』を見た。

 

体育館での演劇だった。

 

なんだかわからないけど、とても感動した。

 

上演後、体育館の中央で、花束を受け取っていた主演の女の子。

 

なんだか大スターのように見えた。

 

っていうかそれ以上に、女神に見えた。

当時は、マジで。

 

小学1年生のときの記憶だから、すごく誇張されているとは思うけど、本当にその女の子のまわりが、キラキラと光っていたように記憶している。

 

(誰だったんだろう。今どうしているんだろう。知りたい。)

 

で。

 

それ以来、というわけではないかもしれないけど、僕は演劇に興味をもっていました。

 

何かを演じてみたい。

 

そんな風にずっと思っていました。

 

 

 

 

でも、実際に演劇に参加するようなアクションをおこしたことはありませんでした。

 

 

 

 

バンドをやったり、教師として教壇に立ったり、なんとなく『人前に立つ』ということが好きだったと思う。

 

でも、演劇そのものをやったことはありませんでした。

 

 

僕が小学校6年生のときの演劇会では『木の役』でした。

まじで。

 

 

 

 

高校進学のときに、学区の1番上の高校は、『日本一の文化祭』と言われる学校でした。

 

高校3年は例年、全てのクラスがクラス演劇をすることが恒例となっていて、これが『日本一の文化祭』と言われるクオリティなのです。

 

でも僕は、自分の進路に対する意識を持っていなく、また内申点をとるというのが不得意で、学区の2番目のところに行きました。

 

今でも、「あのとき、ちゃんと自分の意思で『日本一の文化祭』でクラス演劇をする!!」という意思をもって、進路を選択していればな、と思ったりします。

 

 

 

文化祭の準備とか、好きなんだよね。

 

 

 

 

 

でもとにかく。

 

 

今回、長年の憧れだった「演劇をする」ということが叶う。

 

(コロナで中止にならなければね)

 

 

これひとつとってみても、教員辞めた甲斐があるのかもな。

 

 

いいじゃん別に。

 

いろいろやれるなら、やってみようよ。

 

 

僕は文化祭が好きなんだ。

 

 

一生、文化祭をしていたいタイプなんだ。

 

教員のときも文化祭が好きだった。

 

でも、僕の勤務校では、文化祭が盛り上がるような下地が弱く、クラス演劇なんてなかなかできなかった。

 

 

「バカッコイイ動画」を作ったことがある。

ZIPにも取り上げてもらった。

これは最高の思い出だった。

これについては、いずれ書き残したい。

 

 

 

 

それはさておき。

 

 

 

 

今回の演劇、とにかく頑張るつもりです。

 

 

 

ぼくは、演劇経験ゼロだけど、どうやら主演っぽい。

 

 

コメディだし、よかったな。

 

 

ぼくラーメンズ大好きで。

 

っていうか、生まれ変わったら、小林賢太郎になりたいと思っているんだ。

 

 

 

 

だからとにかく、今回与えてもらったこの機会は、ぼくにとっては大切な大切な大切なもの。

 

何度も演劇をやっている人から見たら、100のうちのひとつなのかもしれないけど、ぼくにとっては、これ以上なく大切。

 

 

頑張るよ。

 

 

稽古は8月の4日から。

 

それまでに、結構セリフを覚えとかなきゃいけないらしいです。

 

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鳶は、がんばってやってます。

 

詳細は、後日いろいろ書きたい。

 

本当は絵も描きたいのに、なかなか時間が・・・。

いいわけか。

 

 

 

 

 

鳶初日

とにかく、行ってきました。

 

まったく未知の世界でした。

 

今日の現場は、建設中のマンションの最上階8階。

 

とにかく、すごかった。

 

まさに命がけの仕事だと思います。

(ぼくは、もちろんまだそんな作業はできません。)

 

今日はとにかく疲れてしまいました。

 

明日もやります。

 

絵を描きたいですが、なかなか時間をとれないですね。

 

日焼けをなんとか防止したい!!!

 

 

 

 

 

 

夢を、ゴール設定を、必ず見つける。

 

 

 

未来をもつ、ゴールを設定する

① 「とび」をやることにしました。

 

一昨日『とび職』の仕事の面接に行ってきました。

 

ある知人(私にとっては先生)に、勧められたからです。

 

この人は若いときに、実践の場こそ学びの場と捉え『30歳までに100の地域で100の仕事をする』という目標を掲げ、全国を放浪した経験があります。

 

今のぼくは、『自分の考えで動くのではなく、師と定めた人の言うことにとにかく従う』ということが一度、必要な気がします。

 

 

 

危険で気の抜けない状況。

常に他人が近くにいる状況。

心身ともに自分を追い込まれる状況。

 

 

 

そういう状況の中で、自分を見つめ、自分を知る。

 

そういうことがきっと必要なんだと思う。

 

 

 

明日から仕事です。

 

修業のつもりでやってきます。

 

どのくらい続けるのだろう。

 

半年? 1年?

 

わかりません。

 

 

 

 

教員を辞めて、3ヶ月と19日。

 

自分なりにやってきてみたけど、ちょっともう次の展開が必要だと感じます。

 

だから正直、『とび』は文化系人間のぼくには、180° 真逆な世界だと思うけど、飛び込んでみます。

 

今のぼくには、きっと見えていないものがある。

 

だから今の状況で考えても、進まない。

かもしれない。

 

だから修行のつもりで、180°真逆の世界でやってみます。

 

 

 

 

 

 

 

② 未来をもつ、ゴールを設定する。

 

今の自分の人生は、すべて自分の行いの結果。

 

今のぼくは、一人でアパートで、することもなく、求められることもなく、悶々とすることの多い日々だ。

 

 

なぜ、こうなったのか。

 

 

それは今までの生き方が、こうなる生き方だったから。

 

 

 

このところずっと、『どうしてこうなったのか』という思いが拭えません。

 

 

後悔は何も生まないとわかっていても、考えてしまう。

 

 

いくつか、思うことがあります。

 

 

 

「やりたいと思ったことは、もっと素直にやれば良かった。」

「家庭の影響から、もっと早く脱却すれば良かった」

「自分で決めたゴールを設定して生きるべきだった」

 

 

 

 

 

 

 「やりたいと思ったことは、もっと素直にやれば良かった。」

 

やりたいと思うことは、年をとってもなかなか消えない!!

 

今、ぼくは某演劇のオーディションの結果まちです。

 

なぜ、そのオーディションを受けたのか。

 

そもそもなぜ、演技は全くの未経験なのにキャストパワーネクストに所属したのか。

 

子どものときから『演劇をやってみたい』という思いがあったからです。

 

興味があってやりたいなと思うことって、どうやら蓋をしても、消えるわけではないようです。

 

年をとるほどに状況は厳しくなる。

 

だったら、できるだけ若いうちに「とりあえずでもやってみた方がいい」と思う。

 

そのときは、なにも卑屈になる必要はない。

 

自分が何かをやりたいと思うということは、とても誇らしいことと考えるべきだ。

 

やってみた結果は、どうなるかなんてわからない。

 

でも、トライするときには堂々とするべきと思う。

 

その人が、この地球上に生まれて、死ぬまでのたった数十年の間に、それをやりたいと思っている。

 

そのことの尊さをもっと感じて、尊重するべきと思う。

 

もしそれをやらなかったら、なんのために生まれてきたんだ。 

 

 どうして卑屈になる必要があるのだろう。

 

やるなら早い方がいい。

 

年をとって、状況が良くなっていくということは稀だと思う。

 

「現実は厳しい」?

 

だ、か、ら!!

 

んなこたぁわかってんだよ。

 

結果なんて水もので、狙った通りになんてならないことは承知で。

 

やってみることに意味があり、成長がある。

 

もう一度言うけど、やりたいと思うことは年をとったからって消えるわけじゃないから。

 

「やってみたかったな」という思いを抱えたまま、何十年も過ごすのは、きついだろう。

 

やってダメでも、経験は間違いなく増える。

 

それが成長で、次の何かにつながるはずだ。

 

そうやって人は生きていくんじゃないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「家庭の影響から、もっと早く脱却すれば良かった」

 

ぼくは今ようやく、自分の生まれ育った家庭の影響から抜け出しつつあると感じています。

 

この歳でようやく自立をすることができつつある。

 

母も父も、まともじゃなかった。

 

つまり「子どもを育てるということについて無自覚」だった。

 

父が破天荒だったので、夫婦喧嘩は絶えなかった。

 

だから「母が正義」と子どもの頃から思っていた。

 

しかしその母とて、無自覚であったことには変わりない。

 

なんの方針をもつでもなく、言いたいことだけ言い、感情的でヒステリーにわめく。

 

自分の思いだけを爆発させ、話し合うことができない。

 

「母が正義」と子どもの時から思い込んでいた分、母のヒステリーをまともに受けて、自分を責めてしまっていたかもしれない。

 

母の価値観に沿わない行為には、罪悪感を抱いてしまっていたかもしれない。

 

生きにくさの原因に、まちがいなくなっていたと思う。

 

 

ただ言えるのは、「両親なんて普通こんなもの」ということ。

 

 

要するにバカだ、ということ。

 

それはオレも同じこと、オレもバカだ。

 

バカじゃなければ、もっと納得のいく人生を自分で勝ち取る努力をしていただろう。

 

バカな人間が、子どもを産んだからって、まともに育てることができるはずがない。

 

ただでさえ、この社会の中で生きていくのは大変なのに、「バカ同士が子どもを抱えて家庭をやっていく」なんて無理ゲーすぎる。

 

きっとものすごい苦労とか不安とか恨みとか、そんなものに毎日苛まれていたことだと思う。

 

大変だったろうと思う。

 

そう考えると、よく育ててくれたなと考えなくはない。

 

だからといって、感謝するべきというわけでは絶対にないと思っている。

 

そもそも感謝なんて自発的なものに対して「べき」とかアホかと。

 

親に感謝しろというなら、子どもにだって感謝しろとなる。

 

ましてや、多くの場合、子どもが抱える苦労は、親がまともであればしなくてもいい苦労だらけだ。

 

社会の傾向として、子どもが親を甘やかしすぎている。

 

それがますます無自覚な親を生んでいる。

 

 

 

で。

 

多くの場合、親とはその程度の存在だ。

 

だから、物理的にも精神的にも切らなきゃいけない。

 

自立をしなきゃいけない。

 

そうしないと、自分の人生が始まらない。

 

いつまでも、親の価値観や影響がチラついていては、自分の人生にならない。

 

親の話は、全無視でちょうどいい。

 

話あいはできない。

 

親の考えは変わらない。

 

話も絶対に通じない。

 

だから何も言わず、全無視。

 

これ一択だ。

 

親ばなれ子ばなれは当然のことだ。

 

親に感謝すべきとか、親を尊敬すべきとか、慕うべきとかいうのは、支配者の言葉だ。

 

 

 

できるだけ早く、親の影響、家庭の影響を自覚して。

 

まず、一掃する。

 

親もとを離れ、きる。

 

それが自分の人生を生きるスタートだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分で決めたゴールを設定して生きるべきだった」

 

未来にこうなりたいという達成したい「夢」を持って生きるべきだ。

 

今更、気づいた。

 

「夢がなくちゃ生きていて救われない」

 

そんなことを43年生きて、今思う。

 

実現したい未来、と言いかえてもいいと思う。

 

未来を持たなくちゃ、生きていて救われない。

 

 

have to  ではなくて  want to  であること。

誰かからの押し付けではなくて、自分で決めたものであること。

現状の外側であること。

 

 

それを設定して、そのために行動する。

 

それが生きるっていうことだと思う。

 

人と比べるのでなく。

 

自分が成したいと思うことを設定して、そのために生きる。

 

生活のために生きるのではなくて。

 

設定した未来のために生活がある。

 

正解も不正解もなくて。

 

貴賤もない。

 

ただ、自分が本当に成したいと思えること、そのためにすべてがある。

 

だからすべてが経験・学びになるんだ。

 

受験勉強があるから学びになるのではなかった。

 

未来を持つから学びになるんだった。

 

思えば、そんな未来を設定することがなかったと思う。

 

受験の時期だから受験をし、就職の時期だから就職をした。

 

どこにも自分で決めたものはない。

 

“時期だから“。

 

 

楽しそうなことがあればノリ、嫌なことをガマンしたあとは酒を飲み、断れないから従い、サボれるならサボり、時期が来ればやる。

 

 

そんなことの繰り返しの結果が、今の状況なのか。

 

どこにも、「この人生をどう使うか」の未来を見据えた視点がなかった。

 

そう思う。

 

 

 

 

救われない。

 

 

 

 

でも、それこそもう、後ろを見てても仕方ない。

 

他人を見てても仕方ない。

 

毎日のように挫けるが。

 

残りの時間をやらなくちゃ。

 

未来、夢、ゴール。

 

それがないと、やはり自分の人生とは言えないと思うし、生きた実感が持てないと思う。

 

ゴールはいくつあってもいい。

 

途中で変わったっていい。

 

でも、ゴールのために生きればすべてが学びだ。

 

若い人には、早いうちからそういう考え方をしてほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼくは今、自分のスキルのなさに、愕然としている。

 

できるだけ若いうちに、上の3つを意識してほしい。

 

ぼくは、それをしなかったから今苦しんでいると思う。

 

多分、どこかではこの壁にあたり苦しむべきなんだと思う。

 

早い方が、その後のリターンが長いんだ。

 

 

 

今は、この反省をそれこそ未来にむけなきゃいけない。

 

次の5年10年20年のために、もう同じミスはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キャストパワーネクスト、演劇キャストのオーディションに行ってきました!!

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8月に公演される、演劇のキャストオーディションに行ってきました。

 

 

場所は、いつも通っている汐留にあるスタジオ。

 

 

 

 

須田祐大さんという方がプロデューサーでした。

 

マスクで容姿がよくわかりませんでしたが、後で調べてみたら年下の人だった。

 

俳優や舞台プロデュースをずっとやってこられているようです。

 

なんていうか、プロの仕事をずっとやってこられていることに、ある種、畏敬の念を抱いてしまった。

 

このあと後述しますが、参加者の方もいろんな仕事をされている人たちがおり、その人たちにも、プロとしての畏敬の念を抱いてしまう、というか。

 

 

 

① プロの人に感じる、負い目

 

なんだろう。

 

話はそれるけど、なんだか『自分はプロとしての仕事をしたことがない』という気がしてしまいます。

 

15年間、教員を自分なりにがんばったけど。

 

どこか、『アルバイトの延長の心もちでやってきたのかもしれない』っていう後ろめたさがあります。

 

 

「仕事とは自分で作り出すもの」

 

という言葉がありますよね。

 

昔は、そんな言葉を聞いたら、

 

 

『はぁ、ふざけんな。仕事なんてできるだけ減らして給料もらって、なんぼだろ』

 

 

とか、知ったふうな知らないふうなことを思ってました。

 

でも、今思うのは、やっぱり『仕事とは自分で作り出すもの』だと思います。

 

言葉の意味をわかっていませんでした。

 

 

昔は、『わざわざしなくてもいいことを作り出す』ように聞こえていました。

 

わざわざ作り出すなよ、仕事が増えちゃうだろ、って思ってました。

 

 

 

でも今は、『この世界を良くするために、自分からできることを考えて、積極的に働きかける』というように理解しています。

 

 

 

うーん。

 

そう考えると、やっぱり仕事してこなかったのかな。

 

 

「この世を良くするため」という部分にも疑念をもってしまう。

(決して、教員の方を蔑んでいるわけではないです。)

 

「自分から考えて、積極的に」という部分は、まぁなってなかったな。

 

なんか、「別に今のままで十分じゃん」って思っちゃうんだよな。

 

だから、僕は人を助けてきていないのか。

 

困っている人が、見えていないのかもしれない。

 

そんなことを思った。

 

このままじゃ、だめだよね。

 

( ´Д`)y━・~~

 

 

 

 

 

 

 

② オーディション参加者について

 

 

オーディション参加者について、覚えている範囲で書いておこうと思います。

 

といっても、あまり覚えていないのですが。

 

応募者は、127名。

 

 

いくつものグループに分けての審査だったので、同室にいたのは25名程度。

 

 

 

いろんな思いで、いろんな境遇で、皆参加しているのだなぁ、っと思いました。

 

特に、若者ではない人たちの生き方を聞くのが、面白いと思いました。

 

(若者の話は、だいたい同じなんだよね。←失礼)

 

 

 

【1】緑茶喫茶店経営の50代男性

 

20年間、毎日毎日、ずっと仕事の日々だったそうです。

 

今回のコロナの影響で、時間にも余裕ができたことで、家族との話す時間も増えたと。

 

また、自分の人生についても振り返って考えるようになった。

 

そこで、全くの未経験であるが、俳優業に対しての憧れを若い頃からもっていて、挑戦したということです。

 

 

今までに、何度かオーディションという場に参加しましたが、必ずこのような人たちがいました。

 

つまり。

 

今まで仕事をがんばってきたけれど、ある年齢になって、昔からやってみたかった演技・演劇に挑戦する、という人。

 

 

考えてみれば、必ずいました。

 

 

それに考えてみれば、僕もその一人でしょう。

 

 

40代とか50代って、そう考える人が多いのか。

 

実際に、行動するしないは別にして。

 

きっと多いのだと思います。

 

 

 

 

 

【2】車雑誌編集10年、ラーメン店店員10年の40代男性

 

見た目はちょっとイカつい感じでしたが、非常に繊細だそうです。

 

この人も、上記の人と同様に、今の年齢になって生き方を考えた結果、このオーディションを受けたそうです。

 

 

大人の人の話を聞くのは、おもしろい。

 

理由は、『見た目では判断できない、意外性を発見できる』からだと思います。

 

 

この方も、前述の方も、街で見かけたら、『演劇をやってみたい』という思いを抱えているようには、見えないわけですよね。

 

 

ところが、こうして自己紹介を通じて、話を聞けば。

 

すました顔して、何もかも割り切った大人のように見えて、実は若い頃からの夢とか憧れっていうのは、そう簡単に消え切るものではない、ということがわかります。

 

 

「そういう人は、僕だけではないのだ」という、意外な思いと、共感とが入り混じるようです。

 

だから、大人の話を聞くのは、おもしろいと思います。

 

特に、このように、カッコつけずに、正直なところを話す時に限ってはね。

 

 

 

  

 

 

 

【3】演技経験あり、プラジルで歌手やったり、何かのCM出演経験のある50代男性

 

この人は、若い頃にすでに芸能活動の経験があるらしい。

 

それ以降は、離れていたらしいですが、さすが芸達者と思いました。

 

なんか、数ヶ国語を話せるらしく、中国語とポルトガル語を披露していました。

 

この人も、見た目は普通の人なんだよなー。

 

街で見かけたら、きっと目にも入らないくらいに、ふっつーのおじさんなのに。

 

こうして、ちょっとフタを開けるとなんか出てくるのが、大人のおもしろいところだと思います。

 

 

 

 

【4】早稲田大学を目指し3浪するも、結局合格しなかった21歳男性

 

 

 まず一つ思うのは、『ちょっと屈折したものを、芸能参加によって立て直そうとする人』というのが一定数いる、ということです。

 

別に批判しているわけではありません。

 

 

 2年前に、キャストパワーネクストの所属生になるためそのもののオーディションを受けました。

 

そのときにも、仕事がなくなってしまって半ばヤケクソのようにオーディションに参加している人がいた。

 

もちろん受からなかったのだろうけど。

 

 

この21歳の人にも同じようなものを感じた。

 

 

 

次に思ったことは。

 

 

『教員のときにも、こういう生徒いたなぁ』ってこと。

 

 

自分の実力を超えた大学 (のブランド) にこだわりすぎてしまい、浪人を重ねてしまう子。

 

 

なぜか、学年に必ず一人以上はいました。

 

 

僕も大学受験では、浪人をしましたが、やはり「浪人は一年まで」がいいと思います。

 

 

それ以上は、得るものより失うものが大きくなると思います。

 

 

実際に、この方の言動にも、ちょっと屈折したものを感じました。

 

 

 

プロデューサーから「演技に対する興味」について質問をされると。

 

 

 

大学受験の試験会場での様子を引き合いに出しながら、こんな話をしました。

 

 

 

『チャラそうに見えて礼儀正しい受験生もいる。

一方でとてもキレイな女子だけど態度の悪いのもいる。

試験管も同様に、丁寧に問題用紙を配布する人もいれば、投げ渡すようにする人もいる・・・・・・(以下略)』

 

 

 

要は、「人間観察を通じて、人の内面を捉えてきた」ということが言いたいのだと思いますが・・・・・。

 

 

でも僕には、違うことが気になりました。

 

 

それは、この人が他人をジャッジし続けているということです。

 

(批判しているのではないです。)

 

 

 

長い時間、受験勉強をし続けていると、他人との関わりが直接的なものではなくなる。

 

他人が、外側から見ているだけ対象となってしまうのではないか。

 

直接の会話があれば、共感したり、自分自身を省みたりするでしょう。

 

しかしそれがないと、どうしても今の自分の価値観だけで、他人にモノサシを当てがちになってしまう。

 

 

で、他人をジャッジし続けていると、やはりなかなか平安な心情にはなれない。

 

 

自分もジャッジされているという世界観に生きることになるから。

 

 

 

そもそもが、大学の名前にこだわるタイプなら尚のこと。

 

他人のことも、こいつは上等、こいつは下等、とジャッジしてしまいがちなのだと思う。

 

 

自分が、他人をジャッジしていると気づくことができるのは、ものすごい壁にぶつかったときだろう。

 

そのときまでは、気づくチャンスはなさそうだと思いました。

 

 

 

エントリー用紙のようなものに、「得意なジャンルはお笑いやコミカルなもの」と書かれていたらしく。

 

プロデューサーが「恥ずかしがらずに、そういうことができるタイプなの?」と質問しました。

 

 

 

それに対して、こう答えていました。

 

 

 

 

『もちろんですよ。

なんせ、3浪もしてますからね。

もう恥ずかしいものなんてないです。

バカにするならバカにしろって感じです。』

 

 

 

と答えていました。

 

 

僕は、思いました。

 

 

別に誰も君をバカになんてしてないし、君を笑う人なんていないと思うよ。

むしろ、君に関心をもつことさえないよ。

もちろん、それは僕も同じ。

人のことを敵と思っていたら、人を笑わすことなんてできないと思うよ。

 

 

と。

 

 

僕も昔、生徒をジャッジしまくって、どん底に落ちた経験があるから、彼のことがよく見える気がしました。

 

 

万が一、彼から何か相談されることがあるなら、いろいろと話をしてあげたいと思いました。

 

 

まぁでも、そんな機会はないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

【5】その他、若者たち

 

勝手にその他にすんなって感じですが。

 

皆さん、フレッシュで可愛かったすよ。

 

若いうちから、好きな道に一生懸命なんだな。

 

勇気もあると思うし、挑戦しているよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長文・駄文、読んでいただきありがとうございます。

 

今日も本当にお疲れ様でした。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3ヶ月たった。

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しかも7月ももう12日!!

 

↑ 『事前に知った答えを書き出す』ということが、はたして成長といえるのかって思って描いた4コマ。

 

 

 

 

① キャストパワーネクストのことについて

 

5月に受けたキャストパワーネクストのレベルチェックオーディションの結果が出ました。

 

高得点者として、後日レクチャーを受けることになりました。

 

もう随分と昔のことのように思えますが、平日の昼間に一人アパートでギターのセッティングしたり、ドラムの打ち込みを作ったり、かなり寂しく心細く作業していたことが思い出されます。

 

また、一応そうして自分が一生懸命に準備したりしたことを、それなりに評価してもらえたことは、うれしく思いました。

 

ただこの高得点者のレクチャーを受けたら、どうなるのかとか、実際これがどういうものなのかは、よくわかりません。

 

また、なかなか仕事(?)も、得られないですね。

 

以前、6月後半に一件だけ受けることができた仕事は無事に終了しました。

 

某オンライン英会話の宣伝動画撮影です。

 

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上段にあるような『一人で英語を練習している風』の動画を6日分提出しました。

 

その後、上野の某所で、ネイティブの女性とのやりとりを撮影しました。

 

 担当のスタッフの女性が大変いい人でした。

 

とてもにこやかで温和で可愛かったです。

 

私もまだちゃんと社会人的なコミュニケーションを取ることができました。

 

こうして人と関わりながら仕事していると、「もっとやりたいな」って思います。

 

僕なりに一生懸命にやりました。

 

 

 

その後、CMの出演とか色々と目につくものにはエントリーしているけど、まったく受からないね。

 

こんなの皆どうやって仕事を得ているんだろう。

 

 

 

いかにもエキストラ的なものは、数年前にやったが、正直『もうやりたくない』と思う。

某携帯のテレビCMで、ライブ会場の客としてひたすらペンライトを振り続けた。

都内某所のライブハウスに7時30分に集合。

終了は、夜10時近かったと思う。

エキストラはとても大切な存在というのはわかっている。

また、そういうものしか仕事なんて与えてもらえないのが現実かもしれない。

でも、あれはもうやりたくはないな。

20代の時なら、物珍しさもあって、やれたと思うけど。

今はもう、時間も労力も『浪費』としか思えない。

交通費くらいしか出ないしね。

あれだけのことをやらせるなら、ちゃんとバイトとして雇って、日当を出すべきだと思うけどな。

 

 

 

 

 

明日は、8月に上演されるという演劇の出演者のオーディションです。

 

この劇というのも、どういうものなのか僕はよくわかっていません。

 

しかし、ちゃんとチケット料をとって上演するもの。

 

有観客になるか無観客になるかは、わかりません。

 

昔から演劇というものに興味があったので、申し込みました。

 

明日のオーディションの内容は、『1分間の自己PR』『演技課題』です。

 

演技課題の台本は、その場で渡されるらしいです。

 

昔から演劇というものをやってみたかった。

 

だから、とりあえずオーディションやってみます。

 

 

 

 

 

 

 

 ② 行動を多くしないと

 

僕はいつも、行動が少ないと思っています。

 

若い時からそう。

 

せっかくのこの状況を生かせていない。

 

旅に出ようかと思って、チャリを整備に出したりしたが、毎週のレッスンやオーディションなどが気になって、結局今まで何もしていない。

 

「飛び込む」ということをしなきゃいけないと思う。

 

それを何度も、と思う。

 

自分の意思から、主体性から行動を起こす人を、とてもかっこいいと思う。

 

あこがれる。

 

僕は何をしたいんだ。

 

そもそも、情報が、経験が少ないから、何をしたいのかわからないのかもしれない。

 

ある人に「鳶職」をやることを勧められた。

 

とても多くのことを学べるらしい。

 

文化系の僕には正反対の分野だ。

 

でも、今のように絵だけ描いたりしているよりマシか。

 

絵を描くなんていっているのも、ただ行動の足枷になっているだけかもしれない。

 

主体的に行動を起こす人、仕事を起こす人たちって、かっこいい。

 

僕は何をしたいのだ。

 

 

 

 

③未来をもつ 

 

『未来をもって行動をする』

 

これがすごく大事だと思う。

 

これをできている人は、どれほどいるだろうか。

 

宿題が出るからやり、新作ゲームが出るからやり、受験の時期だから勉強し、就職の時期だから就職し、結婚の時期だから結婚し・・・・。

 

それで満足ならそれでいいと思います。

 

 

 

僕は、人生について、次のようなイメージをもっています。

 

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僕にとって『未来をもつ』っていうのは、3コマ目の『遠くにとる点』のことです。

 

僕はこの点を、遠くにとったことがない気がする。

 

この点を、目的とするところに打つことが、『未来をもつ』ことだと思う。

 

 今までだって、がんばって生きてきた。

(みんなそうでしょ。みんながんばって生きているよね。)

 

 

 

だけど、点が近すぎたんだと思うのです。

 

 

 

 

高校受験のときもがんばった。

でも、点は『志望校の合格』に打っただけだった。

 

高校では、嫌だったサッカー部を我慢してつづけた。

でも、点は『部活をやりきること』『部員に嫌われたくないこと』に打っただけだった。

 

大学受験のときもがんばった。

でも、点は『志望校の合格』に打っただけだった。

 

大学時代は、バンド活動をがんばった。

たしかにがんばっていた。

ほとんど全てのリソースを注ぎ込んでたと言えると思う。

でも、点は『目先のライブ』に打っただけだった。

サークルの内外含め、目先のライブやレコーディングしか見ていなかった。

それを、どう展開するのか、本当にバンドでやっていくのか。

そういうことは、わざと目を逸らしていた。

怖かったからね。

 

教員になった直後は、授業をがんばった。

たしかに最初のころは、授業を確立するために必死だったな。

メチャクチャ苦労した。

余裕でできる若手もいて、悔しかったな。

でも、点はどこに打ってたのかな。

せいぜい『この先生の授業いいと思われること』に点を打ってたくらいか。

 

その後も、いつもとても近くに点を打ってた。

『担当クラスの平均点をトップにする』

『今日の試合をとにかく終わらせる』

『合宿を終わらせる』

『帰ってゲームセンターCXを見る』

『いい成績をとって上位クラスを担当できるようになる』

『クラスをまとめる』

 

 

 

 

いつも点が近い。

 

 

 

 

その先がない。

それでどうしたいか、どうなりたいかがない。

 

 

 

 

 

 

 

どうしたら、点を遠くに打てるのだろう。

 

 

 

そのためには、この世を知らなきゃいけない。

 

 

同い年のある知人が、20代の時に、この世を知るために、ホームレスをしたり、漫才師をやったり、ホストをやったり、芸能の裏方をやったり、したらしい。

 

色々やったらしい。

 

 

たしかに、若いときにいろいろやるべきなんだろうと思う。

 

 

僕は今からそれをしないといけないか。

 

 

そのためには、別の知人が「鳶職」を勧めた。

 

 

 

 

 

 

未来に点を打つ。

 

 

 

未来に点を打つ。

 

 

 

 

その生き方をする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あへへへへ

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どうしてこうなっちゃたのかな。

 

 

それなりに一生懸命にやってきたのに。

 

 

無職の43歳。

 

 

子ども欲しい。

 

 

 

 

自分が子どもの時から、それなりに一生懸命やってきたのに。

 

何か犯罪をしたわけでもないし。

 

勉強とか成績とかも、それなりにやってきましたよ。

 

仕事だって、ちゃんとやってきたし。

 

 

 

 

 

 

でも、人生にまったく手応えがなかった。

 

 

 

 

 

別にあってもなくてもいい人生と思える。

 

 

 

 

 

こうなってしまった原因は、『言われたことをやってきただけ』だからと考えています。

 

 

 

 

 

言われたことをやってきて、お金を定期的に受け取って、 年取って・・・・。

 

やがてきっと病気でもして、医者に薬漬けにされて、治りもしない病院に通って。

 

医者に依存して。

 

治りもしないのに、薬飲んで、入院して。

 

なるべく早く死ぬように仕向けられて。

 

もし、途中で結婚して子どもができたら。

 

その子どもに、わかってもいないのにいいかげんな「躾」をして。

 

その「躾」も何もわかってないから。

 

やってることは、ただ「良いと言われている」ことだけ。

 

自分じゃ何も考えて躾ていない。

 

ただ、「これが良いと言われているから」「良いと思われるから」。

 

周りの目が気になるから。

 

不安だから。

 

その結果、子どもも言われたことをやって、定期的にお金を受け取って、会社に依存して、年取って、やがて病気でもして、病院に依存して、税金払えなくなったら、国からなるべく早く死ぬことを望まれる。

 

実際に、なるべく早く死なされる。

 

 

 

 

 

大抵の夫婦は、 何の目的もなく結婚する。

 

自分で目的を考えたりしない。

 

何かでみた、どこかでみた、都合のいいような理想像が、目的と思い込む。

 

自分で目的を考えないから、子育てもいいかげん。

 

育児書とかネットとか、そんなのから情報を得ることしか、できない。

 

自分で考えない。

 

子どもを見ない。

 

子どもから情報を得ようとしない。

 

どっかにある情報を、押し付けるだけ。

 

 

 

ずっと連鎖する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

弱い人のことを助けないのは、僕がそうか。

弱い人たちを助けない。

僕がそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと、自分を頼ってこなかった。

それが原因だろうと。

 

いつも外に頼る。

 

それが、今の状況になった原因。

 

何もなく、途方にくれる。

 

でも、本当は途方にくれる時がチャンスだったと思う。

 

「勉強」だの「宿題」だの「受験」だのをやっていると。

 

「何かをやっている」気になってしまう。

 

途方にくれるときに、逃げずにやるべきだった。

 

中学2年くらいの夏休みとか。

 

高校1年とか2年の夏休みとか。

 

教職とる前のニートのようなときとか。

 

「することを与えられていなくて」途方に暮れてたとき。

 

その時が、チャンスだった。

 

そのときに、外部の声を断ち切るべきだった。

 

親とか、メディアとか、常識とか。

 

全部断ち切るべきだった。

 

自分を信じるべきだった。

 

外部の情報は全部くそゴミだった。

 

 

今途方に暮れている。

 

だから今やろう。

 

クソでいい。

 

ゴミでいい。

 

クソでもゴミでも、自分で考えてやるから手応えなんじゃないの。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日々、だらけてる。

 

わけでもないかな。

 

仕事してたときと比べたら、ぬっるーい日々。

 

でもいい。

 

俺はクソだ。

 

3ヶ月か、考えると焦るよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人のことなんか気にするんじゃなかった。

 

こんなことを言ったらどう思われるかなんて、気にするんじゃなかった。

 

どうせ、こんなクズになるんだったら。

 

バカだろうが、間違っていようが。

 

頭のいいクソ野郎どもから、何を言われようが。

  

 

いないものと思われようが。

 

もはや何も思われなかろうが。

 

 

 

 

 

 

 

幸せを押し付ける人たち

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「親」「教師」「電通」「インフルエンサー」などなど。

 

 

「幸せ」を押し付ける人たち。

 

 

彼らが やっていることは、なんだか全て不安ビジネスと変わらないように思える。

 

 

 そんなものに翻弄された挙句。

 

 

 

「もう生きてなくてもいいかな」

 

 

 

 なんて考えるようになっちゃった。

 

 

 

親も教師も電通インフルエンサーも。 

 

 

 聞いてもいないのに、アドバイスをしてくる。

 

 

頼んでもいないのに、評価をしてくる。

 

 

 

その結果、「生きた」実感が持てない。

「生きよう」っていう意欲が持てない。

 

 

 

ただ惰性で生きていくだけになっちゃってた。

 

 

 

 

 

ぼくは、もう負けでいい。

 

 

 

 

かかってこい、クソが。

 

 

 

 

 

もう他人の言うことは無視だ。

 

 

 

自分が大事と思うこと、自分が大切と思うこと。

 

 

それを一生懸命に。

 

 

 

 

 

 

親も教師も電通インフルエンサーも、ぼくを惰性的にしただけだった。

委ねすぎたツケだ。

 

 

 

もっと早くに、「自分が大事と思うことが一番大事」に気づけていたらよかった。

 

 

 

子どものときから、人の話を素直になんか聞くんじゃなかった。

 

 

素直ないい子なんて最悪だ。

 

 

 

小学校の高学年くらいにもなれば、人を選ぶべきだ。

 

 

 

大人を選ばなきゃいけない。

 

っていうか、大人を切らなきゃいけない。

 

 

 

難しいことだけど。

できるだけ若いうちから、そういうことに気づく人が大成しているんだろうな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

親、教師、電通インフルエンサーが押し付ける「幸せ」は、幸せなんかじゃない。

 

単なる「お得情報」だ。

 

 

 

なぜ、彼らは「お得情報」を押し付けるのか。

 

それは、「自分の利益のため」だ。

 

 

 

親なら「自分が安心したいから」。

教師なら「お給料もらえるから」。←ぼくのことね。

電通なら「売上が上がるから」。

インフルエンサーは・・・・よくわからん。

 

 

 

だからその「お得情報」は、まったく相手の方を向いていない。

 

 

 

相手に優劣意識を植え付けて、相手に時間を浪費させるだけで終わる。

 

 

 

 

 

「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」 

 

 

 

 

 

ぼくが中学生くらいのときから、 そういうの見抜いている人たちがいたのに。

重要性に気づかなかった。

ブルーハーツは好きだったけど、ある種、思春期のテンプレートのように感じている部分もあった。

 

 

 

 

 

岡本太郎

「自分の中に毒を持て」

再読してみた。

以前、教師をやっているときに読んだ時より、響いたよ。

せこい勝ち負けや、損得なんかクソ喰らえ、と思った。

 

あえて「マイナスとなる方を選ぶようにする」。

そうすると、命がもりもりっと盛り上がってくるはずだ。

 

 

 

絶対、がんばろうと思った。

 

 

 

 

 

 

押し付けられる「幸せ」に、クソ喰らえ。