教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

「読脳」自己探求コース 小論文

私は、伊東聖鎬先生のもとで月に2回、読脳というものを学んでいます。

 

読脳というものがどういうものか、YouTubeに沢山の事例が紹介されていますので、気になる方はぜひ見てみてください。

 

読脳の授業では、一定期間学んだ受講生に、小論文の提出を求められることがあります。

 

私は学び始めて早くも1年が経ちました。

 

伊東先生のように超能力のようなことは全くできませんが、自分の中のセンサーを鍛え(ようとし)ています。

 

小論文では、読脳を学ぶに至った経緯や、現在感じていることなど、できるだけ詳細に書くことが望ましいようです。

 

今回は、私が1年経って提出する小論文を公開します。

 

何かの参考になってくれれば嬉しいです。

 

 

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<読脳を知った経緯>

 

私が読脳を知ったのは、20代後半でした。

 

高校1年のときからギターを始めて、学生時代にはバンド活動をずっとしていました。

 

20代の後半になり自分の指の異変に気付きました。

 

左手の中指が思うように動かせず、指板を持とうとするだけで強張り、意に反して折れ曲がってしまうのです。

 

この症状はギターをはじめた時からありましたが、異変とは気づかずにいました。

 

でも練習してもなぜか思うように上達している気がしない、周囲の誰を見てもそんな症状を持っている人はいない、という事に気付いた時にようやく異変を自覚しました。

 

それと気付いてからはインターネットで症状を調べ、ようやく「フォーカルジストニア」という言葉に行き着きました。

 

その症状がまさに自分のものと同じでした。

 

そして、整形外科、針、などを試しました。

また自分で強制具などを作ってもみましたが、どれも全く功を奏しませんでした。

 

そのままギターは諦めていました。

 

やがて私立の中高において数学の教員になりました。

 

フォーカルジストニアのことは時折ネットで調べる程度でした。

 

そしてYouTubeで伊東聖鎬先生のことを知りました。

 

これが伊東先生と「読脳」というものの存在を知った経緯です。

 

 

 

<再び読脳コンサルティングを受ける>

 

ほぼギターもバンドも遠ざかっていた日々を送っていましたが、2015年頃に一度だけ「現代医療で良くならない難治な病気症状」についてのセミナーに参加しました。

 

これでYouTubeのように本当に良くなったら凄いことだなと、期待しながら参加しました。

 

しかし僕の脳の情報が出ていないということでした。

 

残念だなと思いましたが、坐骨障害の調整をしてもらったり、他の参加者の方で歩行が困難だった方の症状が改善されたりと、YouTubeで見ていたことが実際に起こるんだという事は実感することができました。

 

この時はまだ、ただ「治してもらおう」「治ったらラッキー」という考えだけでした。

 

 

 

その後、ギターもバンドも全くやらなくなっていきました。

 

そして2019年1月、大学時代の先輩の呼びかけでライブイベントをしようという事になりました。

 

10年以上も全く楽器を触っていないような状態でしたが、懐かしい人たち会えることも嬉しく、せっかく与えてくれた機会だから挑戦してみようという気持ちになりました。

 

そしてまたフォーカルジストニアを何とかできたらと考え、読脳コンサルティングを受けることにしました。

 

しかしこの時に提出した小論文には、フォーカルジストニアの事も書きましたが、それと同等以上に、自分の今までの生き方やこれからの生き方についての悩みについて書いたと思います。

 

それはもう何年も仕事について悩んでいたからだと思います。

 

 

<私の教員生活>

 

2006年に、私は現在勤務している学校に着任しました。

 

教員になってからの数年間は、もう必死な日々でした。

 

授業、クラス担任、部活と忙しく、なんていうか毎日がジェットコースターのように上下するような気分でしたし、休日はほとんどありませんでした。

 

そして5年目に初めて中学1年生からのクラス担任を持つ事になりました。

 

担当学齢が低くなった、ここからの数年がとても苦しかったです。

 

生徒との関係がうまく築けずに、クラスがまとまらず、いつも自分を責めていました。

 

精神安定の薬を飲んで出勤してた時期もありました。

 

他のクラスは生徒同士もよく協力し行事もスムーズに進むが、私のクラスは何をするにも打ち解けずギクシャクしていました。

 

他のクラスの何倍もの労力をかけても、クラスの状態は全く良くなりませんでした。

 

今ならその原因はハッキリとわかるつもりです。

 

それは私自身に教育というものに対するビジョンが無かったからです。

 

ハッキリ言ってしまえば、クラス担任なんて必要ないと思っています。

 

なぜ必要なのかわからない。

 

教科を教えるならまだわかる。

 

曲がりなりにも専門として学んだ知識・スキルだから。

 

(特に数学自体は宇宙の真理と思っています。それが成績だの何だのに結びつくことには疑問はありますが。またそれを学ぶことが本当にその子にとって必要であるのかを考えさせていない所にも疑問はあります。)

 

しかし担任というのは何を教えているのか。

 

決して真理なんかではあり得ません。

 

教員なんてただの「大学で単位を取っただけの人」です。

 

その人たちが教室では生徒の前で、自分の言葉が真理であるかのように話をします。

 

進路指導や生活指導では人生のすべての知っているかのようにアドバイスをします。

 

自分が何を伝えているのか知りもしないで。

 

たかが教員が、一体生徒の何を、人生の何を知っているのか。

 

僕はハッキリ言って教科のこと以外に口出しなんかしたくなかったし、すべきではないと今でも思っています。

 

(相手が求めてもいないのに関われないという考えは読脳とも一致するのかもと思っています)

 

今でこそそんな風に考えていますが、当時は教員としてのビジョンを持っていない自分を責めて苦しんでいました。

 

自分では教育のビジョンを持っていないのに、学齢が低くなるほど「教員らしく」しなければいけない。

 

学齢が低いほど生徒も保護者もそれを望むからです。

 

そんな中で無理に教員らしく振舞う事で精神的にもストレスを受け、何より生徒をまともに見ることができなくなっていました。

 

他のクラスや先生たちと比較しては落ち込み、思い通りにいかない生徒にはイライラとしていました。

 

ノイローゼのような状態にもなり、朝起きたもののどうしても出勤できなくなったりもしました。

 

そんな中でスティーブン・R・コヴィー氏の本に出会ったり、心理学を独学したり、スピリチュアル系の本なども読むうち、教員らしくある事よりも生徒を評価判断せずに一人の人間としてしっかりと見るということの重要性に気づきました。

 

それからは精神的な苦しさも和らぎ、かえって状況も良くなっていきました。

 

この一連の体験は僕の中では貴重な学びとなりました。

 

僕の人生の中では唯一「自分で掴んだ」学びであったと思っています。

 

(しかし自分から飛び込んで得た苦労ではないですね。今の私のテーマは今度は自分で飛び込む事なのだと思います。)

 

人とは、自分とは、生徒とは何か、という事を考えるきっかけになりました。

 

そして、私たちが比較の中で生かされている事への憤り、私たちに無意識のうちに入り込んでいる競争原理への疑問、その競争原理を無自覚に植え付けている学校教育への疑問、そうしたものを自覚するようになりました。

 

それ以降は、自分自身が苦しくならないためにという理由と、そもそも学校教育は生徒を幸せにするものではないという考えに至ったという理由から、仕事で何か成果を求めようとすることをやめました。

 

何事も適当に受け流すようになりました。

 

クラス担任なんかも適当に、適当に。

 

(ただ、授業だけは楽しかったのですが)

 

しかし、そういうするとかえって生徒との関係は良くなりはしました。

 

そのまま何年か経ちましたが、今度は仕事に対してのモチベーションを見失いました。

 

(そもそも以前もっていたモチベーションなんていうのは、自分が優秀に思われたい為に頑張れていたようなものだったと思います。そんなモチベーションはやがて必ず苦しみを伴うと思います。)

 

日々に対して目標もなくただ惰性で仕事をするだけの日々になりました。

 

頑張ろうにも何も意義を見出せない感じで、頑張れない。

 

授業だけは楽しかった。

しかも返って勉強が苦手な生徒もよく数学に取り組むようになりました。

 

でもなんていうか、この楽しさっていうのはもう長くは続けられないような感じがするというか。

 

ただ生徒と遊んでいるのが楽しい、というような気分でした。

 

数学を教えることそのものには、それ程価値を見出せなくなった気がしました。

 

なぜなら、本当に数学を勉強したいと思うなら、もう教員なんか必要ないと思うからです。

 

数学なんてそもそも本に全て書いてあるからそれを読めばいいわけだし、今なら解説動画もいくらでもある。

 

じゃあなぜ、教員が教えなくてはいけないのか。

じゃあなぜ、生徒は学校の授業を受けるのか。

 

それは単位として認定されるためだったり、そもそも本人が勉強することを求めていないからだったり、学ぶ目的を持っていない認識していないからだろうと思います。

 

だからどんなに本があっても、解説動画があっても、自分から勉強しようとはせず何らかの強制力が働かなければ勉強できないのだろうと思います。

 

学校や授業は、その強制力を発揮するためにある。

 

僕は授業をするのが楽しいし、僕なりに培ってきた数学感や数学指導の視点っていうものはそれなりに価値があるのではないかと、小さな自負も持っています。

 

でもなんていうか、それだけではあまり生徒の幸せには繋がらない気が強くなりました。

 

しかも学校には先にも書いたように、生徒の幸せに繋がるとは思えない、生徒不在の指導が(言ってしまえば先脳が)、有形無形問わず沢山ある。

 

そんな風に思うようになり、仕事を頑張れなくなっていき、一体何の為に毎日を生きているのかわからなくなり、仕事に人生に行き詰まりを感じるようになりました。

 

 

<自己探求コースに参加>

 

そんな経緯で、最初の読脳コンサルティングを受ける際に提出した文章には、フォーカルジストニアのことに加えて、人生に行き詰まりを感じていることについて書きました。

 

自己探求コースに参加している私の今のテーマは「自分で掴む」ということです。

 

そもそも思えば、教員を選んだ理由というのも、数学を教えることが好きだったという理由と、それなら多少人並み以上にできるだろうと思ったからというくらいのものでした。

 

実際に働くようになってからは、先にも書いたように、それなりに色々と学んだとは思いますが、教員を選んだ理由はそんな安易なものでした。

 

考えてみれば、仕事だけでなく、人生のあらゆる選択やあらゆる姿勢が、安易だったと思います。

 

何か自分でこうしようと決断するという経験も少なく、その都度なんとなく自信がない気もして自分で決めるということを避けてきた。

 

本当はもっと違うことがしたかったんじゃないか、それを決断することが怖いから放棄して、誰かが決めた安易な道を選んできたんじゃないか。

 

自分で決めることが不安だから、親や学校や社会が、こうすればいいと勧めることをやってきたに過ぎないのではないか。

 

また私が子供の頃は、まだ「良い学校から良い会社に行って定年まで勤める」ことが当たり前という価値観が残っていた。

 

自分もそういうものが安全なことなんだと思っていました。

 

 

その結果、振り返ると人生に手応えがない。

 

何かをやったという感覚も、納得感もない。

 

なんていうか四十数年間が、とても薄く感じる。

 

別にあっても無くても良かったもののように思えて、苦しくなります。

 

何の為に生まれてきたのか分からず、苦しくなります。

 

本当はもっと自分の思うようにやってみたかったのではないか。

 

自由にやってみたかったのではないか。

 

話に聞くだけでなく、良いことも悪いことも、熱いことも冷たいことも、自分で実際に感じてみたかったのではないか。

 

ケガのひとつでもふたつでもしてみたかったのではないか。

 

そういうことを自分に引き受けることが「経験」というものだったのではないか。

 

そう思います。

 

 

月に2回コースで読脳の授業を受けて、1年になります。

 

伊東先生の授業では、目の前で不思議な現象が起こったり、話を聞いているだけで症状が改善されていく受講生の方々が沢山いらっしゃいます。

 

それは本当に超能力のようにも思えます。

 

しかし、僕にとっては伊東先生の話す価値観・人生観というものが読脳の本質のように思っています。

 

しかもそれらの話は「自分を放棄しないで生きること」「人任せにしないで自分の責任において生きること」など至極真っ当(?)な話ばかりである気がします。

 

超能力のような現象とは裏腹に(?)、伊東先生の話は当たり前すぎるほど当たり前であるようにも思えます。

 

でも、その当たり前のことができていないのだろうと思います。

 

昨年(2019年)の末、自分の気持ちに従って、教員を辞めることを本気で考えました。

 

実は、今までも何度も辞めたい、辞めようと思ってきました。

(クラス担任とか部活動顧問とかが嫌で)

 

でもこのとき初めて本気で考えました。

 

そしたら物凄く怖くなりました。

 

理由は、自分には何もないということに気づいたからです。

 

社会的な信用も実績も認知も何もないということに気づきました。

 

あくまで社会から信頼されているのは、私の勤務している学校であって、私が信頼されているわけではない。

 

私が社会から認識されるのは「〇〇中学高等学校の教員」ということであって、私自身が認識されているわけではない。

 

その事に気づきました。

 

これは怖いことだな、と。

 

ずっとそのように依存していたことに気づいてこなかった。

 

このとき初めて気づきました。

 

僕は一人では社会の中で全く見向きもされない通用しない人間だったんだ。

 

通用するための努力をしていなかった。

 

ただ言われたことをやっていただけ。

 

それはどこかの誰かの部品となるなら都合のいい生き方なんだろうけど。

 

いざとなったら一人ではどうしようもなくなる。

 

伊東先生がよく言う奴隷の生き方なのかと思います。

 

それに気づいて以降、一層学校のやっていることが、生徒を伸ばしていることではなく、生徒を何かに依存させるように導いているようにしか見えなくなってきました。

 

教員が指導しているのは、生徒自身の価値を高めていくことではなく、何か価値があるとされているもの(多くは大学や就職先など)に上手く当てはまるようにしているだけ、のように見えるようになってきました。

 

つまり、何かに依存させるように導いている。

 

それは「自分で掴むことを放棄させている」ということなんだと思います。

 

伊東先生はいつも授業でそういうお話をされます。

 

伊東先生のお話はいつも当たり前のことを話されているように思います。

 

でも、僕含め多くの人が当たり前の生き方ができていない。

 

 

今までずっとレールの上を生きてきただけでした。

だから今行き詰まってしまった。

これが自分放棄ということだったのだと思います。

 

この年齢からまたゼロから始めなくてはいけないのかと思うと、できるのかという不安に苛まれます。

 

でも、このまま自分を放棄していることを見て見ぬ振りして、5年10年と経ったら、そのときこそ本当にまずい状態になると思います。

 

怖いけど、やってみようと思います。

 

最近は生徒にも、「読脳」を通して学んだことを話したりします。

 

自分を放棄してはいけないこと、学校は君たちを伸ばしているわけではないこと、なんかそんなことです。

 

でも、言うだけじゃなくて見本を見せなくてはいけませんね。

 

変わるのは怖いけど、変わらないのは多分もっとはるかに怖い結果になるとも思います。

 

若い人たちに見本となるためにも挑戦します。