教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

「生活の基盤」を確立すること

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僕が教員を辞めようと考えたときに、怖くなったのは「生活の基盤」が無くなることです。

 

僕が考える「生活の基盤」は次のようなもの。

 

 

 

「生活の基盤」

①収入

②(人に与える)役割

③人との関わり

 

 

 

今、僕は一度これを手放そうとしている。

 

やっぱ怖い。

 

でも、今のままも無理。

 

 

僕が今、行き詰まっている理由は、上記の「生活の基盤」をどのように構築するかということを真剣に考えず、人任せにしてきたからだ。

 

 

 

 

そこを自分で掴むことが、自分らしく生きるっていうことなんじゃないかな。

 

 

 

そこを今から掴まなきゃ。

 

 

 

僕は、人は上記の3つが無ければ生きていけないと思う。

 

どうかな?

 

僕はなぜ今、自分が怖いと感じているのかを考えたら、やっぱり上の3つを失うことだった。

 

 

 

①は少し広く捉えて、生きていく上で必要な物質的な資源を得ること、と考えたい。

 

②と③は同じかな。②⊃③って感じかな。

 

 

 

 

生きるなら、これらは絶対に必要。

 

そして、これらを「どう」構築するか、それを自分で決める、掴む、っていうことがまず何より大事だと思う。

 

そうじゃない?

 

 

 

 

 

 

で、思ったんだけど。

 

 

 

学校教育はね。

 

 

これらを構築する必要性を教えていない。

 

これらを構築する能力を、育んでいるわけではない。

 

これらを「どう」構築していくのか、考えさせていない。

 

 

 

 

学校教育でやっていることは。

 

 

 

(自分で決めたわけではない)与えられた課題を果たすこと。

 

狭い固定化された人間関係の中で、周囲と同調すること。

 

自分の価値を、相対的なものとして捉えさせること。

 

比較の意識を植え付けること。

 

人生について考えなくても、安心していられるようにしておくこと。

 

自分で試してみることよりも、答えを外部に求めるようにさせること。

 

 

 

これらは「生活の基盤」を掴む力にはならない。

 

 

 

悪く言い過ぎ?

 

でも、本当ではあると思うよ。

 

 

だから僕は今、行き詰まってしまったし、今学校で生徒に施していることに、違和感を感じるんだよね。

 

 

 

本当は、生徒には、

 

 

課題は自分で、その都度決めてほしい。

 

流動的な人間関係の中で、自由に自己を確立してほしい。

 

自分の価値を、何かとの比較の上でなく、まずそのまま受け止めてほしい。

 

比較は、優越感による喜びは与えてくれるけど、必ず苦しみの元になるものと、学んでほしい。

 

貴重な人生について、どう生きるか考えてほしい。

 

自分でどんどん試してほしい。

 

で、楽しく生きてほしい。

 

 

 

これらが「生活の基盤」を掴む生き方だと思う。

 

 

うーん。

 

なんか、うすっぺらいかな。

 

でも、これ僕自身が、そうしたいことだと思う。

 

 

 

こういうブログ、書き慣れないな。

 

でも、いいや。

 

 

下手でも、とにかくやってこう。

 

 

 

 

まぁ、要するに自立できることを教えていないんだ。

 

人々に自由になって自立されちゃ困るわけだね。

 

 

自然科学の授業と、部活によるスポーツ活動にかける時間が多すぎる。

あえて断言するけど、それらは将来何も役に立たない!!

 

 

もっと法律や経済学などの、実学を中学から必須にしよう。

 

 

そして、自分の人生をどうするのか、考えよう。

 

 

 

なんかよくわかんないけど、ここで終わります。