「生活の基盤」を確立すること
僕が教員を辞めようと考えたときに、怖くなったのは「生活の基盤」が無くなることです。
僕が考える「生活の基盤」は次のようなもの。
「生活の基盤」
①収入
②(人に与える)役割
③人との関わり
今、僕は一度これを手放そうとしている。
やっぱ怖い。
でも、今のままも無理。
僕が今、行き詰まっている理由は、上記の「生活の基盤」をどのように構築するかということを真剣に考えず、人任せにしてきたからだ。
そこを自分で掴むことが、自分らしく生きるっていうことなんじゃないかな。
そこを今から掴まなきゃ。
僕は、人は上記の3つが無ければ生きていけないと思う。
どうかな?
僕はなぜ今、自分が怖いと感じているのかを考えたら、やっぱり上の3つを失うことだった。
①は少し広く捉えて、生きていく上で必要な物質的な資源を得ること、と考えたい。
②と③は同じかな。②⊃③って感じかな。
生きるなら、これらは絶対に必要。
そして、これらを「どう」構築するか、それを自分で決める、掴む、っていうことがまず何より大事だと思う。
そうじゃない?
で、思ったんだけど。
学校教育はね。
これらを構築する必要性を教えていない。
これらを構築する能力を、育んでいるわけではない。
これらを「どう」構築していくのか、考えさせていない。
学校教育でやっていることは。
(自分で決めたわけではない)与えられた課題を果たすこと。
狭い固定化された人間関係の中で、周囲と同調すること。
自分の価値を、相対的なものとして捉えさせること。
比較の意識を植え付けること。
人生について考えなくても、安心していられるようにしておくこと。
自分で試してみることよりも、答えを外部に求めるようにさせること。
これらは「生活の基盤」を掴む力にはならない。
悪く言い過ぎ?
でも、本当ではあると思うよ。
だから僕は今、行き詰まってしまったし、今学校で生徒に施していることに、違和感を感じるんだよね。
本当は、生徒には、
課題は自分で、その都度決めてほしい。
流動的な人間関係の中で、自由に自己を確立してほしい。
自分の価値を、何かとの比較の上でなく、まずそのまま受け止めてほしい。
比較は、優越感による喜びは与えてくれるけど、必ず苦しみの元になるものと、学んでほしい。
貴重な人生について、どう生きるか考えてほしい。
自分でどんどん試してほしい。
で、楽しく生きてほしい。
これらが「生活の基盤」を掴む生き方だと思う。
うーん。
なんか、うすっぺらいかな。
でも、これ僕自身が、そうしたいことだと思う。
こういうブログ、書き慣れないな。
でも、いいや。
下手でも、とにかくやってこう。
まぁ、要するに自立できることを教えていないんだ。
人々に自由になって自立されちゃ困るわけだね。
自然科学の授業と、部活によるスポーツ活動にかける時間が多すぎる。
あえて断言するけど、それらは将来何も役に立たない!!
もっと法律や経済学などの、実学を中学から必須にしよう。
そして、自分の人生をどうするのか、考えよう。
なんかよくわかんないけど、ここで終わります。