僕だって、何かしたい。
せっかく、この世に生まれてきたんだ。
僕だって何かしたい。
何だろう。
何かして、「遊びたい」。
そんな感じ?
遊びの定義は、評価がないこと。
自発的なこと。
評価がないこと。
評価がないこと。
評価がないこと。
評価がないこと。
評価がないこちょ。
評価がないこと。
コレとても大事。
評価があると、何もする気がなくなるぜ。
だってそうでしょ。
基本そうだよね。
もうそういうの嫌だよ。
でも、気づけば無気力になるな、まだ。
「自分の軸」っていうか「自分の基準」っていうか、そういうものがあった方がいいと思う。
そうじゃないと、周りの評価に流されちゃうからね。
何かしたい。
です。
DEATH。
そうだな。
もう、「したい」じゃないな。
「する」。
そのために、決めて、動こう。
そのために、教師辞めたんだ。
ほんと。
何に決めようかなぁ。
せっかくこの世にきたんだもの。
僕だって、何かしたい。
⦅追伸⦆
今朝、起きた時の気分がとても良かった。
なぜだろう。
思い当たるのが、「距骨体操」。
この2日くらい、距骨体操をした。
読脳の創始者である、伊東聖鎬氏によると、距骨を調整することで、地球から「ゆらぎ」というものが入ってくるという。
読脳で、調節方向を読みとればいいのだけど、それができない場合は、360度の全方向に、5度間隔で、調整すればいいんだって。
3ヶ月程度続ければ、何か気付きがあると、先日、伊東先生は言っていた。
ここ数日、気分が沈みっぱなしのワイだったので、今朝はちょっと不思議に思ったよ。
ちょっと続けるよ。
で、経過を見てみるよ。
で、ここにも書いていくことにする。