教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

自分の頭で考えるために必要なこと

人生の選択や行動において「自分の頭で考える」ということは、言葉以上に難しい。

 

実際に自分の頭で考えて行動できている人が、どの程度いるのだろうかと思う。

 

堀江貴文氏の著書「ゼロ」の中に、『自分の頭で考える』ために、絶対に乗り越えるべき必要条件が書かれている。

 

それは『親元を離れること』。

 

物理的にだけでなく、精神的にも、親元を離れ自立しなきゃいけない。

できるだけ早い方がいい。

 

僕は、その自立ができていなかったということに、今更気付いた。

今まで生きてきた人生に対する、納得感がほとんどない。

人生が楽しかったという思いがほとんどない。

 

いつも何かに忖度してて。

いつも何かを隠してて。

いつも行動を自分で制限してて。

やりたいことも、やりたくないことも、言い出せず。

 

人生を思いっきり生きたっていう感覚があまりありません。

その大きな原因の一つに、自立をしていなかった、というものがある気がしています。

 

何か自分で考えて行動しようとすると、親の顔がチラついて、ブレーキがかかる。

成人をすぎても、そういう経験をする人は少なくないと思います。

または、親が原因とは気づかないまま、ブレーキがかかる人もいると思います。

 

本当はやってみたいのに、やらない。

たとえ小さなことでも、そんな不満は、やがて大きな恨みになっていく。

そんな気がしています。

 

親との関係は、そのまま社会との関係につながる。

 

子どもの時から、親の前で自由な言動を取れなかった場合、社会に出てからもそれをひきずる。

それが人生に対する納得の無さにつながる。

 

 

過干渉

過保護

ヒステリー

子どもを心配する

子どもの前で不機嫌になる

子ども相手に愚痴をいう

人生に悲観的

人の意見を検証せず否定する

目先の安全を押し付ける

子どもの前で夫婦喧嘩をする

子どもの言動に過剰に反応する

先回りして手を出す

自分が正しいと思っている

すぐ不機嫌になる

すぐ不安になる

すぐ怯える

・・・・

 

などなど。

以上に当てはまる親は毒親だ。

僕はそう思う。

つまり「ほとんど全ての親は毒親」だと思う。

 

親がこのような親だった場合、子どもには絶対に望ましくない影響がある。

 

つまり『親ガチャはずれ』(byナリ心理学)。

 

だから、自分の人生を生きるためには、自立が必要。

 

 

僕は43になって自立できていなかったことに、ようやく気付いた。

でも、僕以外にも、自立のできていない大人は多くいると思う。

 

 

 

以前、三者面談をしていると、どうしても生徒の母親に対して、イライラしてしまうことが多かった。

それは。

 

過干渉

過保護

ヒステリー

子どもを心配する

子どもの前で不機嫌になる

子ども相手に愚痴をいう

人生に悲観的

人の意見を検証せず否定する

目先の安全を押し付ける

子どもの前で夫婦喧嘩をする

子どもの言動に過剰に反応する

先回りして手を出す

自分が正しいと思っている

すぐ不機嫌になる

すぐ不安になる

すぐ怯える

・・・・

 

というような親が多かったからです。

生徒に自分を投影してしまい、保護者に自分の母親を投影していたからだと思う。

僕自身が、自分の人生に納得が得られておらず、その原因の一つが親の在り方で、それと同じことを目の前の保護者が生徒にしている。

 

その状況にイライラしてしまっていました。

 

暴力をする親に育てられた子は、暴力をしやすいという。

アル中の親に育てられた子は、アル中になりやすいという。

自己肯定感の低い親に育てられた子は、自己肯定感が低くなりがちだという。

 

戦争が終わって、たったの76年。

その傷は、76年じゃ癒えていないと思う。

親から子へ、またその子へ、と傷は癒えないまま、受け継がれてしまっていると思う。

 

だから、親元を離れて、自立。

悪い連鎖を断ち切って、自分で人生を決める。

それが大事だと思います。

  

 

 

ちなみに、親は絶対に変化しません。

何を言っても、絶対に理解もしません。

相手にしないのがベストです。

もう、精神的には切り捨てるのがベスト。

それは、まっとうなことで、後ろめたさを感じる必要など全くない。

あと、『親は感謝するべき存在』なんかでは、全くないと思います。

だいたい、「感謝するべき」っていう言葉自体が矛盾を孕んでいます。

もし、僕が親だったら、子どもに感謝なんてしてほしいとは、絶対に思わないと思うなぁ。

 

 

追記

もう一つ、ちなみに。

ここでいう「毒親」っていうは、一般的な「普通の親」のことだと思います。

だから、そうなるのは当たり前っていうか。

「毒」っていう字が、強くて誤解を招きそうっていうか。

目の前に、フライドポテトを盛ったお皿があったら、食べない方がいいとわかってても、普通は食べちゃうっていうか。

決して批難しているつもりはないです。

僕が今まさに、自覚してる最中だから、どうも愚痴っぽく、批難めいた表現になってしまっているとは思いますが。

とにかく、普通のことだからこそ、親元を離れる必要があると思っています。 

 

 

 

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 もうダメっていうのは、幻想。

そう思っています。