私たちは「自分で決めたこと」のために必死になりたい。
僕は今まで、自己啓発の本やサイトを結構たくさん読んできました。
教員をやってて、本当に苦しかったとき、それらは確実に僕を助けてくれました。
(僕にとって、有益だったものを、いずれここにまとめようと思う)
そういう情報には、大きく分けて2種類あると思います。
① マイナスの状況をゼロにするための情報
② ゼロ以上をさらにあげるための情報
①は現状が危機的に苦しくて、そこから抜け出したいという人が対象
②は危機的状況ではないが、今の生き方に納得していない人が対象
っていう感じでしょうか。
僕は、10年前からしばらくの期間、生徒との関係やクラス運営が本当にうまくいかず、苦しい時期がありました。
精神安定剤を飲んで出勤した時期もあったし、朝起きることはできたけど家を出ることがどうしてもできないという日もありました。
そんなとき、①の情報を与えてくれたサイトや本は、本当に僕を助けてくれました。
(軽く一つ紹介するなら、「名無き仙人のサイト」人生を変える方法ですね。このサイトのおかげで僕は助かりました。マジで。)
ほんと、当時は完全にノイローゼでした。
もう、簡単な事務仕事も手がつかない状態で、常に他の先生と比較して自分をさげすみ、毎秒気が休まらなかった。
行くとこに行けば、うつの診断は確実に受けたでしょうね。
ともあれ、そんな状況をなんとか乗り越えました。
それは、本当によかったです。
しかも乗り越える中で、本当にいろいろなことを学ぶこともできました。
(そんなこともいずれここに書けたらと思います。)
で。
それ以降も、本やサイトは読むようになりました。
言ってみれば、
② 危機的状況ではないが、今の生き方に納得していない人が対象
の情報を得ていました。
それらを読んで、気持ちがたかぶったり、教員の仕事の中でメソッドを試したりしました。
でも、どこかでいつもうまくいかなくなる。
そもそも、途中で「やりたくなくなる」。
そんなことを繰り返していました。
原因は明らかだったし、自分でもわかっていました。
教師がやりたい仕事じゃなかったんだと思います。
「自分で決めたこと」じゃなかった。
もちろん、自分で選んだ仕事です。
しかし、何度か書いたように、積極的に「これをやる」と決めたことではなかったんですよね。
世間体だったり。
親の視線だったり。
安定だったり。
もう決める時期だからだったり。
そういうもののために決めた。
それを「やりたいこと」と称して決めた。
まぁなんとも情けない話だけど、それが事実だと思います。
自分で積極的に「これをやる」と決めたことでないと、どうしても途中で止まっちゃう。
そこにどんなスキルやメソッドを与えても、まずは「自分でこれをやると決める」っていう土台がないと、 力は途中で抜けてしまって、生きる手応えも感じなくなっちゃうんじゃないか。
人は絶対、必死に働きたい生き物だと思います。
でもそれは、「自分で決めたこと」に対して、っていう前提があると思う。
もちろん組織で働く以上、やりたくもない作業はある。
意義も必要も感じない作業を、しなきゃいけないこともある。
それはやんなきゃなんない。
そんなところの話ではなくて。
そんな中でも、何か大きなところで、積極的に自分から決めたことを成すために、その組織にいることが必要だ、と言えるかどうかが大事というか。
もう人からの評価を追うのは嫌だ、苦しくなるから。
もう人から言われただけのことをするのは嫌だ、動けなくなるから。
もうむやみにネットの情報に振り回されるのは嫌だ、苦しくなるから。
もう上手くいっている人に嫉妬するのは嫌だ、苦しくてたまらんから。
もう人生勝ち組負け組とかダメだ、苦しくてたまらんから。
やる必要を感じ、 意義を感じ、人より得意で、やろうと思えること。
そんなことに集中する。
今からでも、そうする。
必ず見つけよう。
「かかってこいでぇすぅ」