途方に暮れている場合じゃない。
なんかスキルを育てようと、イラスト作成のために描いている4コマ。
これ一個描くのに、何時間もかかってます(汗。
そうだよな。
途方に暮れている場合じゃないよな。
そんなことしてたって、誰も見てはくれない。
せっかく今までと違う生き方をしようっていうんだ。
チャンスだろ。
そうだよな。
怖がってばかりいても仕方ない。
今でも、朝起きると、「うわぁ、俺無職になるんだ」って怖くなるのが正直。
でも、同時になんとなく、それがチャンスのようにも感じる。
今までの生き方は、絶対に違ってたっていう確信はあるんだ。
それに、学校の先生は、本当にもう続けられない。
何があったわけではないと思うけど、もう心が折れたと、はっきり感じる。
もう、進路指導だの、生活指導だの、授業予定だの、成績処理だの、聞くだけで嫌だ。
こんなのクソ喰らえだろ。
ちがうと思う。
生徒のためになんかなっていない。
そうではなくて、社会システムのためだ。
僕がそうだ。
学校の言う通りにしてたら、僕のようになるよ。
43歳で、気づく。
確かに、収入を得てきたけど、僕の人生、何か意味あったのかなって。
絶対にちがうと思う。
もう学校も嫌だし、教師なんか最悪だ。
結局、自分と同じように社会システムに収まるように、人を矯正しているに過ぎない。
生き方は、もっと自由なはずだ。
僕は、言葉だけじゃなくて、それを実際に行動で示そうっていうルートに入ったと思っています。
ここ最近、大きく気付いたことは、「支配構造からの脱却」の重要性です。
それができないと、僕が望むような、納得できる人生を生きることってできないと思う。
支配構造って、いろんなところに遍在していると思う。
支配構造って、「不安や無価値感」を与え、「ニセの解決策」を与えることだと思う。
で、支配者の都合のいい方向にもっていくっていう。
まぁ、世の中なんでもそうだよね。
そんなことに、僕は今更気付いたよ。
支配っていう言葉が、収まり悪いなら、影響って言ってもいいかもしれない。
でも、望ましくない影響ね。
僕を含め、多くの人は、
親
学校
社会
から、望ましくない影響を受けているよね。
僕もそうだと思う。
でも、それを受け入れるか否かは、やはり本人にかかっていて、僕は受け入れたっていうことかな。