母親からの自立について
ついさっきまで、新宿のスタバで、私の母親について、ノートに書きながら考えていました。
結論を先に言うと、私が今に至るまで、人生に対して納得感を得られずにきた原因は。
「母親からの自立ができていなかったから」
と言う理由も大きのだと思います。
ホリエモンこと堀江貴文氏の著書「ゼロ」の中に、こんな一節があります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分の頭で物事を考えていくためには、一つ乗り越えておかなければならない条件がある。
自立だ。
特に親元を離れることである。
(中略)
どんなに困ったときにも、親には頼らない。
もしも、それをやってしまったら僕は再び「あの人たちの子ども」になってしまう。
(中略)
ここは年齢や性別に関係なく、自問してほしい。
あなたは本当の意味で、親元を離れたと言えるだろうか。
何かを決めるとき、親の顔がチラついていないだろうか。
親との関係は、そのまま社会との関係につながっていく。
親から自立できていない人は、「自分の頭で考える」という習慣づけができていない。
そうなれば、会社や組織からも自立することができず、(中略)。
人は皆、誰かの子どもとして生まれる。
そして親から自立できたとき、初めて社会の中でも自立することができるのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
引用下手かな?w。
まさに僕はこの、親から自立できていない人だ。
そこに今の納得感・手応えのない人生の原因がある気がします。
前から薄々気づいていたし、最近はハッキリ自覚しているけど、「自分で何かをやろうと決めるときに、誰かの許可を無意識のうちに欲している」。
そして、ほとんどの場合、なんらかのブレーキがかかる。
で、行動に移す割合がとても少なかったと思う。
ホリエモンのいうように、「親との関係=社会との関係」であるなら、僕は、何をするにも親の許可を欲する子どもと同じです。
別の表現をすると、自分のやりたいことや言いたいことを、社会や他人に、素直に表現できない状態です、僕は。
それも子どもの心理な気がする。
僕の母は、まぁおそらく一般的程度に、過干渉で、ヒステリックで、僕を信頼せず心配して、批判的で、人や物事をジャッジするような人です。
僕のすることを応援してくれることもありましたが、いずれも条件つきで、自分の価値観に沿う事柄に関しては応援してくれる感じでしたね。
自分で決めて、始めたバンド活動とかに関しては、あまり褒めてくれるようなことはなかったです。
どちらかというと、ケチをつけるというか。
家で練習してて、ミスると「だめじゃん」みたいなことを言うというか。
そういうことが記憶に残っています。
子どもの時は、怒る時などは、言葉で表現するよりも、怒鳴ったり、不機嫌になって何も喋らないなど手法を取る人でした。
(ちなみに言葉で表現せずに不機嫌な態度を取るというのは、マインドコントロールの一種だよね)
まぁあくまで一般的な範囲です。
多分、正規分布で言えば、ボリュームゾーン程度の家庭環境っていうかな。
(ちなみに『ナリ心理学』という面白いブログがありますが、このブログによると、成人以上の子どもに好かれていない時点で「親ガチャはずれ」、ということです。このプログによれば、僕は完全に「親ガチャはずれ」です。)
父が破天荒な人物で「会社の上司を殴ってクビになる」という経験を、生涯で2回しているので、そのことがトラウマになっているようで。
レールから外れるということを、非常に恐れているというか。
子どもの頃から、あるいは大学生くらいになっても、言われ続けたことは、「クサイからちゃんと綺麗にしろ」とか「この家は私が一人で守ってきた」とかそういうことばかり。
(ちなみに「この家は私が一人で守ってきた」という言葉も、今思えば、無力感や罪悪感を植え付けるマインドコントロールだよね)
僕に求めているのは、とにかくちゃんとして「勤め人になる」ということばかりでした。
それができなければ、お前は引きこもりになること確定なんだから、ということも間接的に言われていたと思う。
一応、誇張なしで書いているつもりだけど、なんだか書いてて悲しくなってきたな。
簡単にいうと、もっと無条件に受け入れてほしかったし、僕のことを心配しないでほしかった。
もっと生きる上で、大切なことを教えてほしかった。
(こういうことを言うと、「臭くしないことは社会で大切でしょ!!」とか必ず返ってきますねw。)
勇気や自信を持たせてほしかった、と正直に思う。
もっと人生に対して大切なことって、あると思う。
別にほとんどの人は誰だって、大人になってある程度の社会的経験をすれば、言われなくたって「ちゃんとする」よ。
掃除だってするし、風呂もトイレも体も清潔に保つさ。
今、僕は無職になったけど、引きこもっているわけでもないし、筋トレもするし、ゴミ屋敷でもない。
そんなのは、言われたからそうなったわけではなくて。
社会的な経験を経て、そういうことの重要性を理解したから、そうしているわけで。
でも、母が僕に与え続けた言動は、ことごとく「あなたはダメだから」というメッセージになって、僕に届き続けた。
そういう経験ある人、多いんじゃないかな。
もっと勇気や自信を持てるような働きかけをしてほしかった。
でも、もう絶対に理解してはくれないんだよね、母は。
で、一応ここからが本題だけど。
そんな母親から受け続けた影響から、意識的に脱出をしなきゃいけないってこと。
20代、30代、40代、あるいはそれ以上になっても、そんな影響から脱出できずに、自分を損ねている人って、多いんじゃないかな。
僕は、自分でそう思っている。
そもそも、教員になったのだって、母親の目を気にして決めた部分だって少なからずある。
つまりは自分の人生に対して忖度している部分があるということ。
もちろん自分の責任だよね。
「仕事を決めなきゃいけない時だから決める」という状態での選択だったもんね。
確かに無責任な態度ではある。
やはり「反抗期」は大事だ。
反抗という言葉は確かに、適切とは言い難いな。
あくまで、自分自身を社会の中の新たな一つの人格として主張し始める時期。
それが、周囲の大人とは異なる価値観だから、結果として、「反抗」と映る。
別の人間だから価値観が異なるのは、当然だよね。
自分をこの社会の中で主張し始める「主張期」。
で、僕にはその時期がなかった。
あったのかもしれないけど、性格的なところもあいまって、忖度していたと思う。
結果、それ以降の僕は、この社会の中で一人の大人として自分を打ち出すことができずにきたと思う。
常に、周囲に忖度してきたと思う。
自分は、どこか不完全で、受け入れてはもらえない存在であると、思っていたと思う。
まさに、いつも「親の顔がチラつく」状態。
子どもの状態だ。
だから、社会の中でも、「自分で結果を決めて行動する」ことよりも「言われたことをやって待つ」という態度が多かった。
いい子に言われたことをやって、待ってても、自分の望むことは、与えられはしないよ。
それが本当にようやくわかった気がします。
「親との関係=社会との関係」
であるなら、もう変えなきゃいけないね。
僕はようやく自立に向けて、一歩踏み出したっていう気がしています。
今でも、親に刷り込まれた価値観が頭の中にあることは、感じる。
そしてそれが「チラついて」、自分の自信や価値にブレーキをかけていることを感じる。
でも、自覚できるようになったことは前進とも思う。
僕はこれでも、15年間、社会人としてやってきた。
(ちなみに教員は社会人ですよ。よく世間知らずという批判を受けるが、否定はしないが、どんな職業でもそれに特化すれば、ある程度は世間知らずであると思う)
そのことは、少なからず「僕はダメじゃない」っていう自信になってくれている。
辞めることになって実感したけど、同僚の先生も生徒も、いろんな人が僕を受け入れてくれていました。
求めてくれていた人さえいた。
それは、小さな自信になって、確実に僕を支えてくれる事実だ。
これからは、自分で決めて、行動する。
今まで、そういうことをする訓練が足りていないせいで、大変だけど。
誤解を招く表現になるかもだけど。
はっきり言って多くの場合。
ほとんどの人にとって。
「最初の敵は、親」
ということだと思う。
本当は10代で、それをやるべきなんだろうね。
もちろんね。
↓ちょうど1年前に描いたマンガ。
行き詰まりを感じていました。
イラスト・漫画の仕事、募集します!!
相談してください!!
↓野菜で怒ったり、餃子屋さんのことがあったり、どうなの?と思ったりします。
でもやはり、この人の言葉は勇気をくれると思う。
↓「ナリ心理学」ブログ
面白いブログです。
特に、母親との関係についての言及は、心当たりありまくり。
ちなみに、このブログの存在を知ったのは、この人(ナリさん)が、たまたまスタバの隣の席で、このブログを更新してたのを、のぞき見したとき。
以来、このブログはよく見ています。