心細くて気づいたこと。
10年ぶりくらいに『7つの習慣』を読み返しています。
ーーーーーーーーかる〜くこの本の説明ーーーーーーーー
『7つの習慣』は、いわば “人生のテキスト” です。
例えば、素人がスキーを始めようと思ったら、普通は誰かに習うかテキストをあたります。
誰にも教わらず、我流でスキーを始める人は、まずいません。
しかし、僕たちは人生については、素人であるにも関わらず我流で人生をやっています。
その結果、多くのトラブルが起こり、抜け出す術もわかりません。
我流でスキーを始めれば、きっと次々にトラブルや問題が起こって、楽しくなく、もうやりたくないってなるのは、火を見るより明らかです。
なのに、人生については、それと同じことをやっているわけです。
時代・年齢・性別・人種を超えた人生の「原則」に則って生きることで、主体的で効果的な人生を送ることが誰でもできる。
それがこの本の主張であり、内容です。
この本を形容する言葉は、まさに「人生のテキスト」です。
親や先生から受け継いだままになってしまっている我流の人生が苦しい人は、読んでみることをつよ〜くおすすめします。
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前に読んだときは、生徒との関係やクラスの状態がうまくいかず、やることなすこと裏目に出て、心身ともにボロボロのときでした。
本当に呪われていると思ってました。
真心ブラザースの「明日はどっちだ」っていう歌の歌詞に、
それもわかってる。
命がゆっくりつぶされていくんだ。』
っていうのがあって。
本当にそんな心境でした。
何をやっても、生徒からは悪意に受けとられるというか。
逆効果になるというか。
そんな中、藁をもすがる思いで、ネットや本を探って、この本に出会った。
その結果、本当に状況は良くなっていったんだ。
おかげで、生徒とは、人とは、人間関係とは、そういうものを身をもって学ぶことができたと思う。
その時のことは、いずれここにも記していきたいと思っています。
で、今またこの本を紐解いたわけだけど。
10年前とは、また違った意味合いを持って読み取れる気がして、驚いています。
そして、また、重要な気づきを与えてくれる気がしています。
ともすると、勇気も与えてくれる。
10年前は、生徒との人間関係について苦しみ、この本を開いた。
今は、自分の人生について、このままでいいのかってなって。
なんだか、人生のあらゆる場面で、自分で選択をせず言われたことをしてきただけな気がして、僕の人生の全てが無意味だったと感じてしまった。
そんで、仕事を辞めて、心細くて苦しくてこの本を開いた。
誰かの言う通りにしていれば、安心できたし、そのようにやることが大事なことだと思ってた。
そして、そうしていれば、いつかいい人生に到達すると思っていた。
いつか、何かが起こると思ってた。
いつか、誰かがいい結果をもたらしてくれると思ってた。
ずっと、教師辞めたいって思ってたのに・・・・・。
ずっと、この仕事を辞めることを夢想してたのに・・・・・。
ずっと、クラス担任やってて苦しいと思ってたのに・・・・・。
今思えば本当に、人生を放棄してた態度でしかなかったと思う。
依存してた。
何に依存してたか。
それは、母親だと思う。
「親との関係は、そのまま社会との関係につながる」
言われた通りにやっていれば、いつか人生が良くなって完成する。
(そんなわけない)
それは “あなたが僕をなんとかしてくれる“ っていう発想。
その "あなた" が時と場合によってどんなに移り変わっても、なんであれその行き着く先は、母親だ。
ある程度、社会人としてやってきて、仕事上の責任は果たせるようになったと思った。
仕事上においては、依存した態度は脱却できたと自覚した。
でも、人生については、依存した態度のままだったのか。
なんか、そう思う。
っていうか、スタバの店内BGMでけー、うるせー!!!
(遠隔授業中の大学生がたくさんいる。ご苦労様です。こっちは無職のおじさんです。)
で、僕の母親も、我流の人生だった。
ほとんどの人がそうであるように。
ほとんどの人の母親がそうであるように。
子どもとの人間関係を崩しながら、言うことを聞かせ (P-PCバランスが崩壊してる)。
常に相手を変えようとして(関心の輪へ働きかけてる)。
たぶん家族に依存してた(原則中心ではない)。
だから、自分の頭で考えるためには、親から自立することが絶対条件。
自分の人生を創造するためには、親から自立することが絶対条件。
僕はこの年になって、親からの自立ができていないっていうことを自覚した。
社会人経験も経て、自立はできていると思ってた。
でも違った。
① ほとんどの母親がそうであるように、僕の母親も間違いなく毒親だった。
② 僕は親からの自立ができていなかった。
この数日、なんで僕の人生は、ちゃんとやってきたのに、こんなんなっちゃったんだろうって、考えてて、行き着いた結論が上です。
僕は、反抗期がなかった。
だから、母親のことを、心底嫌った記憶がない。
「馬鹿だな」とか思うことはしょっちゅうあったけど。
心から憎いとか、邪魔だ、とか、思ったことがない。
(毒親でなければそういうこともあるのかもしれない)
でも大抵の場合(つまり毒親の場合)、それは自立には必要なプロセスなんだ。
で僕は今、ようやく、母親を憎くて、嫌った、です。
で、長くなったけど、今回書いておきたかったことが以下になります。( ´Д`)y━・~~
『7つの習慣』を読み返して、まず思ったのは、母親がまるで効果的な人生を生きてないこと。
でも、考えてみれば、僕も10年前に、たまたまこの本に出会って、人生には「生き方」ってものがあるって知った。
それまでは、効果的な人生についてなんて、意識したことがなかった。
だから、母親がバカでクソなのと同じように、僕もバカでクソだったと。
そう思えたきっかけは、この無職の日々の「心細さ」です。
毎日毎日、なんとも言えない心細さに見舞われます。
抜けようのない、抜け出し方のわからない心細さ。
で、ふと思いました。
子どもの時から、この心細さを拭うのは、母親に頼ることによってだったと。
それともう一つ。
父親が酒に酔って上司を殴って会社をクビになったり家庭を顧みずにメチャクチャやってた時って、母親は子どもの僕らを抱えて、こんな心細さを向き合ったんだろうかと。
その時は、誰か頼る人はいたのかなって。
なんかそう思ったら、母親はバカに違いないけど、俺もそうだって思った。
母親は謙虚さもないから、学ぼうとさえしないけどさ( ´Д`)y━・~~。
俺は学ぼうとしているつもりだけど( ´Д`)y━・~~。
母親はバカで違いないけど、仕方なかったのかもしれないっていうのは、この心細い毎日を過ごして、なんか思った。
ナリ心理学っていう面白いブログがあるけど。
母親との関係と人生について、とてもわかりやすく独自の言葉で表現してます。
それをみると、僕はようやく母親との関係の一歩を、進めたのかなって思いました。
「母親を尊敬してる」←クズ
↓
「母親はクズ。そんな人間から生まれた私もクズ」←クズ
↓
「母親はクズだしバカ。
でも仕方なかった。
バカだけど一生懸命やった。
確かに僕を愛そうとしてくれた。
でもバカだからできなかった。」←ダイヤモンドになりつつ?
っていう?
感じ?
そう思ってます。
はい。
何言ってるのか、わかんないですね、すみません。
2年前、附属の小学校に出校してた時、卒業文集に寄せ書きを書いてと頼まれた。
その時に、作成したイラスト。
ちゃんと白黒2回調で、作成しているあたり、いいと思う。