教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

絶対に勝てないゲーム

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(初めて「アジェンダ」に出会ったのは、もう4年も前のこと。ヨコモジをいち早く取り入れる先輩がいたんです。もちろん尊敬できる先輩でした。)

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(お台場にはホントに「ダイバーシティ」っていうのがあるんだね。しらんかった。)

(あと昨今のヨコモジ文化なんなんだよ!!ニッポン人だろ、目で話したまえ!!)

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なんか、あれだよな。

 

ずっと、『他者(世界)から自分の価値を認めてもらいたい』と思っているよな。

 

物心ついた時から、ずっとそう思っている。

 

小学校高学年くらいからかな?

中学生の時くらいからかな?

 

 

 

 

 

 

 

→「自分の価値を認めてもらうために」他者(世界)が存在している。

 

→ 他者(世界)は「俺の価値を認めるために」存在している。

 

→ 他者(世界)が俺の価値を認めてくれないと、自分が無価値な存在になってしまう。

 

→ 他者(世界)が負けてくれることで、自分が勝てる。

 

→ 他者(世界)が俺より劣ってくれないと、自分には価値がない。

 

 

 

 

 

 

 

僕たちが「事前に何の相談もなく連れてこられた」この世界は。

 

 

 

 

 

 

なぜか知らないけど、「自分」というものがあった。

で、必然的に「自分以外」があった。

つまり「他者」があった。

 

 

なんだか、「他者」って「世界」そのもののようで。

 

 

 

「自分」と「世界」があった。

 

 

 

 

で、なぜか知らないけど。

 

だいたい、いつも「自分の価値を確認したがってた」。

 

 

 

その確認の方法が。

 

 

 

「世界(他者)よりも、自分の方がすごい」と思えること。

 

 

 

っていう気がする。

 

 

 

「上と下」で考えていて。

 

 

 

ある一定よりは「上」にいたい。

 

 

 

 

 

 

「上」に行けるためには、誰かに「下」に行ってもらう必要がある。

 

 

 

できるだけ「上」なら、他者(世界)から憧れてもらえる。

他者(世界)から羨ましがってもらえる。

他者(世界)から必要とされる。

 

 

 

 

そんなんで、ようやく自分に価値があると思えて、安心できる。

 

 

 

 

 

それが叶わなければ、自分も好きになれないし、世界も好きになれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんでだろう?

 

「事前に何の相談もなく連れてこられた」この世界には。

 

「自分」と「他者(世界)」があって。

 

 

 

 

とことん他者を利用することでしか、自分の価値を感じられない。

 

自分を好きになれない。

 

 

 

 

 

そういう人って、きっとすごく多い。

(含オレ)

なんで?

 

 

 

「事前に何の相談もなく連れてこられた」この世界では。

 

 

なに、そういう設定なの?

 

何でそういう設定にしたの?

 

 

 

 

 

 

で、このゲームは。

 

 

 

まぁ、はっきり言って勝てない。

 

 

みたい。

 

 

 

 

 

 

ごくたまに勝った時もあったりした気もするけど。

 

最終的には必ず負ける。

 

 

 

 

 

みたい。

 

 

 

 

 

そんなゲームを、ずっと続けてきた(続けている)。

 

みたい。

 

 

 

 

 

だいたい小学校5、6年くらいの時にスタートするかな。

中学校の時も。

高校の時も。

大学の時も。

教員の時も。

バンドをやってた時も。

授業をしてた時も。

絵を描いてる時も。

電車に乗ってる時も。

スタバにいる時も。

ニートで塾講してた時も。

 

 

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

 

 

気づいたら44歳で、なんか「あれ?」ってなって。

「あれ、オレこの人生で何かした?」ってなって。

「なんもしてなくね?」ってなって。

「なんか意味あることした?」ってなって。

「なにこれ?」ってなっちった。

えへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勝てない。

勝てない。

勝てない。

勝てない。

勝てない。 

 

からの。

 

価値ない。

価値ない。

価値ない。

価値ない。

価値ない。

 

からの。

 

年取るとさらに価値ない。

年取るとさらに価値ない。

年取るとさらに価値ない。

年取るとさらに価値ない。

年取るとさらに価値ない。

 

からの。

 

じゃあこれからますます価値ないじゃん。

じゃあこれからますます価値ないじゃん。

じゃあこれからますます価値ないじゃん。

じゃあこれからますます価値ないじゃん。

じゃあこれからますます価値ないじゃん。

 

からの。

 

44年意味なかったし。

44年意味なかったし。

44年意味なかったし。

44年意味なかったし。

44年意味なかったし。

 

からの。

 

もうだめじゃん。

もうだめじゃん。

もうだめじゃん。

もうだめじゃん。

もうだめじゃん。

 

からの。

 

 

 

 

もう自分を好きになれない!!

ずっと好きになれたことがない!!

この世も嫌いなんじゃ!!

 

 

 

 

 

ってさ。

 

 

 

 

 

 

そもそもの原因は。

 

 

 

 

そんなゲームをずっとしていたから。

 

 

 

 

だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう無理じゃ。だって勝てないし。これから先はさらに勝てない。」

 

「もういやじゃ。オイラだってそれなりに頑張ってきたのに。どうして自分を好きになれない?どうしてこの世を好きになれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうやめちゃおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんなゲーム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だってもう絶対に勝てないもん。

 

 

 

 

 

 

 

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だから、やめちゃおう。

 

 

もういいや。

 

 

勝てねーし。

 

 

 

 

自分が勝つことはいーや。

 

 

 

 

 

 

そんなことよりも、何かすることがあるような気がする。

そんなことよりも、何かすることがあったような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶対に勝てないゲーム」をするために必要なものは、「評価」「判断」。

 

人にも物事にも、「良い」「悪い」、「正しい」「間違い」、「快」「不快」、「優」「劣」っていう評価や判断を、レッテルを貼ること。

 

もしそれがなければ、他者に負けて欲しいとも、自分が優れていたいとも、思えないから、「絶対に勝てないゲーム」をすることができなくなってしまう。

 

 

「評価」も「判断」も、僕らはなぜかどうしてもやってしまう。

 

だから「絶対に勝てないゲーム」をし続けていられる。

 

もちろん「評価」も「判断」もできなかったら、生物として生きていけない。

 

だって、身に迫る危険も、命を守るための行動も、わからないから。

 

だから「評価」も「判断」も無くなることはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもの頃からずっと、なにをするにも「オレのこと、すごいと思ってくれ」というのが動機で。

 

気づかないうちに、絶対に勝てないゲームをし続けて。

 

たまに、勝ったように思うときには、有頂天になったりして。

 

たいていの場合は、負けていて、生きてる意味ねーとかなったりして。

 

時間が経つほど、どんどん勝てなくなっていって。

 

自分の価値も、世界の価値もわからなくなって。

 

どうせ負けるなら、なにをしても意味ないってなって。

 

まぁ、見失っちゃう。

 

あれぇ、何かすることがあったと思うのになぁ。

 

こういうことじゃなくて、何かすることがあったはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事前に何の相談もなく連れてこられた」この世界には。

 

なぜか知らないけど、「自分」と「他者(世界)」っていうのが設定されてた。

 

そこで、ずっと他人が負けてくれることで自分が勝てる、絶対に勝てないゲームをし続けて。

 

 

 

 

時間がたった。

 

 

ずいぶん時間がたった。

 

 

ほんとうは何か、そういう感じじゃなくて、することがあったと思うけど。

 

 

そういうのに、早く気づく人もいるんだろうと思う。

 

中学生くらいの時とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「事前に何の相談もなく連れてこられた」この世界には。

 

なぜか知らないけど、「自分」と「他者」っていう設定があって。

 

あとなぜか知らないけど、このくらいの大きさの肉体が一つだけ与えられてて。

 

一定の時間だけ動かせるようになってて。

 

なぜか「評価」と「判断」があって。

 

時間がきたら、終わりで。

 

 

 

 

 

なんか知らないけど、もろもろそういう設定になってて。

 

そういうゲームをしてても、なんかもうダメそうだし。

 

なんかすることがあると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめちゃおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

評価して判断して。

時間がきたら終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうそういうのいいです。

 

 

 

だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめちゃうんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かすることがあると思うし。

 

 

 

 

そういう意味では、僕はまだあきらめないよ。

 

 

 

 

 

 

 

「未成熟な者の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。

これに反して、成熟した者の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある。」

 

↑ 言ってみたかっただけ。

 

 

 

 

 

 

 

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↑ 成熟した者。

 

 

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↑ 成熟した本