教師辞めた ブログ

15年間、教員をしました。このままでは生徒の見本になれない!!『生徒の見本になりたい』そう思ったから辞表を出しました。40過ぎた今から、自分で人生を掴むブログ。イラスト・漫画のお仕事募集してます。メールで相談してください。p-kamiyo@hotmail.co.jp

大人の反抗期

僕は、40歳を過ぎて、今たぶん中年の危機ってやつだと思います。

 

この中年の危機って、その年齢に原因があるのではないと思う。

 

たぶん、潜在的に問題がずっとあって、それが年齢をきっかけにして、その問題に気づくんだと思う。

 

 

なんだか、「教員やっててももうだめだ」って思った。

で、やめた。

 

いやー、今はなかなか毎日一人ぼっちだし、なんとも言えない日々です。

すごく不安定さを感じます。

何をやってても、これでいいのか、っていう思いがします。

でも、それは今まで、他人の価値観に依存してたり、特に志を持ってるわけでもない仕事に依存してたりしてて、安心してただけだと思う。

本当は、この不安定な感じを、もっと早いうちに、乗り越える必要があったんじゃないかな。

 

そのときに、自分がどう生きるかとか、この社会において自立できる、スキルなり価値観を構築できるんじゃないだろうか。

 

 

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僕は、側からみれば、まっとうな社会人としてやってきたと思う。

でも、今になって、この状態になっちゃった。

でも、こうなる問題は潜在的にずっとあったんだと思う。

 

ちゃんと、どう生きたいのか、考えて実行するべきだった。

それをせずに、なんか環境に安心して生きてきてしまったのは、紛れもなく自分の責任。

それを今から、やろうと思う。

そうだよな、やろう。

やるのだ。

 

(7つの習慣に書いてあったな。反応的な人「やらなきゃいけない」→主体的な人「やると決めた」) 

 

もし過去に戻って、中学の時の自分でも、高校の時の自分でも、いいから伝えられるとしたら。

 

① 親を切り捨てよう

② 周囲の大人の言う人生設計は『依存型』

③ 人生の本当のリスク 

 

ひとまずこれらを伝えたいかな。

 

 

 

① 親を切り捨てよう

私の親は、両親とも子育てに関しては無自覚だったといえる。

父は、酒に酔って上司を殴って会社を2回クビになった。

子どもは好きだったみたいだが、それ以上に自分が好きで、家庭のことは無関心だった。

母は、怒る時はヒステリックに怒鳴るか (ホント鬼だった)、不機嫌な態度で示し話が通じなくなった。

頑固で自分と違う意見を受け入れることができない。

父が父だから仕方ないけど、なんとなく「人生はやっかいなもので、何事もなく片付けるべきもの」っていう態度がいつも見てとれた。

僕に対しては、「勤め人になること」のみが人生の全てという教育方針だった。

っていうかそもそも “方針” なんて持ってなかったと思うけど。

子どもを信頼せず、「勤め人にならなければ、必ずあなたは引きこもりになる」というメッセージを常に感じてました。

父も母も基本的には優しい人で、普段は平和な家庭といえたけど、「大切なことを教わった」っていう記憶はひとつもない。

普通に無自覚な親だった。

そういう親は多いと思う。

そして、そういう親からの影響は、大きい。

特に子どもの、完全に無防備な状態では、親は全世界だ。

まぁ神だよね、神。

だから気づけないんだよね、影響を受けていること。

僕自身、この年になって、自立できていたと思っていたけど、そうではなかった。

僕の場合、影響を受けた親の価値観は、

 

・あなたは無力

・権威に頼れ

・危険だから自分で考えて行動するな

・人生は、やっかいな問題だ

 

そんな感じかな。

何かをしようとするときに、無意識にこうした考えが湧いて、暗い気持ちになったり、怖い気持ちになったりする。

とにかく、こういう影響を振り払わないまま、なんか人生に納得いかないとか、生きにくいとか、思うように生きられない、という人は多いと思う。

その場合は、絶対に、この親の影響を振り払おう。

今、僕がやっているように。

まず、自分の親が、毒親だっていうことを認識したほうがいいと思う。

そんなこと考えたこともない人は多いと思う。

考えたくない人もきっと多いと思う。

でも、一度よく考えて欲しい。

「親への感謝」とか、そういう洗脳ってまじでいらない。

別に親を責めるわけじゃなくて、自分の不要な価値観をアンインストールするためだから。

生きにくい原因は、自分の性格ではなくて、育ってきた環境(つまり親)にある。

どんな問題も、原因を正しく認識することが大事でしょ。

で、子どもの時には、『全世界』で『神』だった親が、ただのバカだったって認識するの大事。

そうすれば、自分が同じようなバカになってたってことがわかると思う。

で、もうそれはいらないなって、少しづつ心から思えてくるんじゃないだろうか。

だって、大人になって、少しでも本を読んだりすれば、「親の人生哲学のなんて貧弱なことか」と思うよ。

親を相対的なものとする

ってことなのかな。

子どもの時絶対的なものから、相対的なものにする。

それが、親を切り離すってことだと思う。

僕は、きっと今それをしている。

正直な感想を言えば、とても心細い。

昔から親の考えかたは嫌いだった。

でも、無意識に影響を受けてた。

子どものときのまま、絶対的な存在だった。

どこかで安心感があった。

もっともっと早く切り捨てることができれば、と思う( ´Д`)y━・~~。

 

 

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② 周囲の大人の言う人生設計は『依存型』

今回、仕事を辞めて、痛感したのは。

社会的に価値があるのは、勤務してた学校校であって、僕自身ではない。

っていうこと。

「社会的には」っていう前提のもとだけど。

僕自身には価値がない。

学校の中では、生徒も保護者も、僕の話に耳を傾ける。

僕の数学の授業を聞く人たちがいる。

でも、今は、僕の話を聞く人はいない。

これは大きいことだと痛感した。

今まで僕に価値があったのではなくて、勤務校に価値があった んだね。

信頼と言い換えてもいいかも。

僕自身には信頼がなく、勤務校の信頼に依っていたんだ。

 

つまり依存していた。

 

やっぱりこれは危険なことだと思った。

もちろんそれで生活していけて、納得できて幸せならそれでいいと思うけど。

きっと、僕みたいに目標を見失ってしまう人も多いはず。

そうなった時に、初めて自分自身の社会的に価値に気づく。

と思う。

 

学校の勉強って、資格取得の勉強だ。

高校卒業も、大学卒業も、一つの資格に過ぎない。

資格があれば生きやすくなるから、ないよりはあった方がいいと思う。

でも、『資格≠スキル』だと思う。

高卒も大卒もあったほうがいいだろうとは、思う。

でも、それってその人自身の価値が上がっているわけではないっていう自覚は大事と思う。

 

学生時代には、気づかなかった。

中学生のときも、高校生のときも、大学生のときも。

基本的には、学校に通っているだけで安心しているんだ。

 

本当は、できるだけ早い時期に、自分自身の社会的価値を、社会的信頼を、高めるような活動を、もっと真剣に考えるべきだったんだろう。

 

なんだか、目の前の生徒にしていることが、本人の価値を伸ばすことではなく、ただ従順にさせているだけのように感じて、何かに依存させるように育てているように感じて、やがては僕みたいに、行き詰まってしまうように感じて、教師辞めたっていうのもある。 

 

 

 

③ 人生の本当のリスク 

とにかく「失敗なんてないのだ」っていうことを、伝えたい。

全ては一つの過程に過ぎないっていうこと。

学校のマルバツ教育はやばいっすよって伝えたい。

 

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自分のやりたいと思うことを素直にやってみるのと、やらずにいるのと、どっちの方がリスクが高いんだろう。

 

多くの場合、青い矢印にいくとまずいから、赤い方にしなさい、ってな感じで、本人の意向ではない道を選んだり、選ばせたりする。

 

でも、その場合。

やりたいと思うことをせずに、歳をとったとき、「やってみたらどうなっただろう」っていう思いを抱えたまま、歳をとってしまう。

それって、人生においてリスクのあることじゃないだろうか。

自分の人生からは絶対に逃げられない。

 

もちろん必ずうまくいくわけじゃないけど、自分でやりたいと思ったなら、やってみないと次に繋がらないともいえる。

 

上の図でいえば、一つ目の緑の矢印さえ歩かないことになっちゃう。

その先の成功が、最初に思っていたものではないかもしれないけど、確実に人生は、進んでいく。

やらないで、人生が進まないことの方こそリスクだったんだ。

 

 

 

 

 

 

↓ 2年前くらいに描いた4コマです。 

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今の政治を見ても、まるで「しっかりとした考えのもと」意思決定など行われていないことがよくわかる。

批判意識を持って、自分で考える。

大事なことです。

 

心細くて気づいたこと。

10年ぶりくらいに『7つの習慣』を読み返しています。

 

www.amazon.co.jp

ーーーーーーーーかる〜くこの本の説明ーーーーーーーー

7つの習慣』は、いわば “人生のテキスト” です。

例えば、素人がスキーを始めようと思ったら、普通は誰かに習うかテキストをあたります。

誰にも教わらず、我流でスキーを始める人は、まずいません。

しかし、僕たちは人生については、素人であるにも関わらず我流で人生をやっています

その結果、多くのトラブルが起こり、抜け出す術もわかりません。

我流でスキーを始めれば、きっと次々にトラブルや問題が起こって、楽しくなく、もうやりたくないってなるのは、火を見るより明らかです。

なのに、人生については、それと同じことをやっているわけです。

時代・年齢・性別・人種を超えた人生の「原則」に則って生きることで、主体的で効果的な人生を送ることが誰でもできる。

それがこの本の主張であり、内容です。

この本を形容する言葉は、まさに「人生のテキスト」です。

親や先生から受け継いだままになってしまっている我流の人生が苦しい人は、読んでみることをつよ〜くおすすめします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

前に読んだときは、生徒との関係やクラスの状態がうまくいかず、やることなすこと裏目に出て、心身ともにボロボロのときでした。

本当に呪われていると思ってました。

 

真心ブラザースの「明日はどっちだ」っていう歌の歌詞に、

 

 

『やること全部裏目裏目に出た。

 それもわかってる。

 命がゆっくりつぶされていくんだ。』

 

 

っていうのがあって。

 

本当にそんな心境でした。

 

何をやっても、生徒からは悪意に受けとられるというか。

逆効果になるというか。

 

そんな中、藁をもすがる思いで、ネットや本を探って、この本に出会った。

その結果、本当に状況は良くなっていったんだ。

おかげで、生徒とは、人とは、人間関係とは、そういうものを身をもって学ぶことができたと思う。

 

その時のことは、いずれここにも記していきたいと思っています。

 

 

 

 

で、今またこの本を紐解いたわけだけど。

 

10年前とは、また違った意味合いを持って読み取れる気がして、驚いています。

そして、また、重要な気づきを与えてくれる気がしています。

ともすると、勇気も与えてくれる。

 

10年前は、生徒との人間関係について苦しみ、この本を開いた。

 

今は、自分の人生について、このままでいいのかってなって。

なんだか、人生のあらゆる場面で、自分で選択をせず言われたことをしてきただけな気がして、僕の人生の全てが無意味だったと感じてしまった。

そんで、仕事を辞めて、心細くて苦しくてこの本を開いた。

 

 

誰かの言う通りにしていれば、安心できたし、そのようにやることが大事なことだと思ってた。 

そして、そうしていれば、いつかいい人生に到達すると思っていた。

いつか、何かが起こると思ってた。

いつか、誰かがいい結果をもたらしてくれると思ってた。

 

 

 

ずっと、教師辞めたいって思ってたのに・・・・・。

 

 

 

ずっと、この仕事を辞めることを夢想してたのに・・・・・。

 

 

 

ずっと、クラス担任やってて苦しいと思ってたのに・・・・・。

 

 

 

 

今思えば本当に、人生を放棄してた態度でしかなかったと思う。

依存してた。

 

 

 

何に依存してたか。

 

 

それは、母親だと思う。

 

 

「親との関係は、そのまま社会との関係につながる」

 

 

言われた通りにやっていれば、いつか人生が良くなって完成する。

(そんなわけない)

 

 

それは “あなたが僕をなんとかしてくれる“ っていう発想。

 

その "あなた"  が時と場合によってどんなに移り変わっても、なんであれその行き着く先は、母親だ。

 

 

ある程度、社会人としてやってきて、仕事上の責任は果たせるようになったと思った。

仕事上においては、依存した態度は脱却できたと自覚した。

 

 

でも、人生については、依存した態度のままだったのか。

なんか、そう思う。

 

 

っていうか、スタバの店内BGMでけー、うるせー!!!

(遠隔授業中の大学生がたくさんいる。ご苦労様です。こっちは無職のおじさんです。) 

 

 

で、僕の母親も、我流の人生だった。

ほとんどの人がそうであるように。

ほとんどの人の母親がそうであるように。

 

子どもとの人間関係を崩しながら、言うことを聞かせ (P-PCバランスが崩壊してる)。

常に相手を変えようとして(関心の輪へ働きかけてる)。

たぶん家族に依存してた(原則中心ではない)。

 

 

 

だから、自分の頭で考えるためには、親から自立することが絶対条件。

自分の人生を創造するためには、親から自立することが絶対条件。

 

 

僕はこの年になって、親からの自立ができていないっていうことを自覚した。

社会人経験も経て、自立はできていると思ってた。

でも違った。

 

 

① ほとんどの母親がそうであるように、僕の母親も間違いなく毒親だった。

② 僕は親からの自立ができていなかった。

 

 

 この数日、なんで僕の人生は、ちゃんとやってきたのに、こんなんなっちゃったんだろうって、考えてて、行き着いた結論が上です。

 

 

僕は、反抗期がなかった。

だから、母親のことを、心底嫌った記憶がない。

「馬鹿だな」とか思うことはしょっちゅうあったけど。

心から憎いとか、邪魔だ、とか、思ったことがない。

(毒親でなければそういうこともあるのかもしれない)

でも大抵の場合(つまり毒親の場合)、それは自立には必要なプロセスなんだ。

 

 

で僕は今、ようやく、母親を憎くて、嫌った、です。

 

 

 

 

で、長くなったけど、今回書いておきたかったことが以下になります。( ´Д`)y━・~~

 

 

7つの習慣』を読み返して、まず思ったのは、母親がまるで効果的な人生を生きてないこと。

 でも、考えてみれば、僕も10年前に、たまたまこの本に出会って、人生には「生き方」ってものがあるって知った。

それまでは、効果的な人生についてなんて、意識したことがなかった。

だから、母親がバカでクソなのと同じように、僕もバカでクソだったと。

 

 

そう思えたきっかけは、この無職の日々の「心細さ」です。

 

 

 

毎日毎日、なんとも言えない心細さに見舞われます。

抜けようのない、抜け出し方のわからない心細さ。

で、ふと思いました。

子どもの時から、この心細さを拭うのは、母親に頼ることによってだったと。

それともう一つ。

父親が酒に酔って上司を殴って会社をクビになったり家庭を顧みずにメチャクチャやってた時って、母親は子どもの僕らを抱えて、こんな心細さを向き合ったんだろうかと。

 

 

その時は、誰か頼る人はいたのかなって。

 

 

なんかそう思ったら、母親はバカに違いないけど、俺もそうだって思った。

母親は謙虚さもないから、学ぼうとさえしないけどさ( ´Д`)y━・~~。

俺は学ぼうとしているつもりだけど( ´Д`)y━・~~。

母親はバカで違いないけど、仕方なかったのかもしれないっていうのは、この心細い毎日を過ごして、なんか思った。

 

 

ナリ心理学っていう面白いブログがあるけど。

母親との関係と人生について、とてもわかりやすく独自の言葉で表現してます。

それをみると、僕はようやく母親との関係の一歩を、進めたのかなって思いました。

 

 

「母親を尊敬してる」←クズ

    ↓

「母親はクズ。そんな人間から生まれた私もクズ」←クズ

    ↓

「母親はクズだしバカ。

でも仕方なかった。

バカだけど一生懸命やった。

確かに僕を愛そうとしてくれた。

でもバカだからできなかった。」←ダイヤモンドになりつつ?

 

 

っていう?

感じ?

そう思ってます。

はい。

何言ってるのか、わかんないですね、すみません。

 

  

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2年前、附属の小学校に出校してた時、卒業文集に寄せ書きを書いてと頼まれた。

その時に、作成したイラスト。

ちゃんと白黒2回調で、作成しているあたり、いいと思う。

 

 

 

 

ameblo.jp

教師の仕事がつらいなら。

教師を辞めたからといって、即幸せになるわけではないと思う。

現に、今僕とても苦しいし・・・・。

でも、1ミリも後悔はない。

なんかもう、辞めることが自分にとって必然だったから。

僕の場合は、仕事の辛さが辞めた原因ではないですが。

 

教師が苦しくて、辞めたいっていう人は多いのかもな。

 

でも、辞めるのってメチャクチャ勇気がいるしできないとか考えて、追い詰められちゃう人もいると思う。

 

でも、辞められなくても苦しさから逃れる方法があります。

かつて僕は、この方法で、マジで病気にならずに済んだと思っています。

でもこの方法は、受け入れない教師って結構いそうなんだけどね。

 

その方法は・・・・・。

 

 

手を抜くってことです( ✌︎'ω')✌︎イエイ。

 

 

教師の仕事は本当に大変。

っていうか、不可能だと思っています。

 

 

・授業準備

・小テスト作成

・小テスト採点

・クラスの生徒へのコメント

・クラス朝終礼と掃除指導

・保護者への連絡

・各種報告書の作成

・各種提出物のチェック

・HRの企画と準備

これらを授業の合間に行う。

放課後は、部活指導・補習・講習・会議・研修会・生徒対応。

時期によっては、さらに仕事が重なります。

・文化祭・体育祭・学年行事などの準備

・面談とその準備

・クラス分け資料作成

・成績処理と資料作成

・クラスの保護者会とその準備

・部活の保護者会とその準備

これに、突発的なこととして、生徒のトラブル対応

休日は、部活動の練習か、試合。

役員になれば、大会の運営で、朝から晩までつきっきり。

さらに クラスや授業が荒れる、などのトラブルを抱えた場合、その辛さは計り知れないよね。

 

やることの多さもさることながら、求められる特性が多岐に渡りすぎる。

 

 

つまり教師の仕事は、不可能だと。

 

 

僕の元職場でも、精神的に病む人は結構いるし、僕自身も数年前はそうなりかけた。

 

 

 

だから絶対に、手を抜くことが必要だと思っています。

 

 

中にはマジでなんでもできるカリスマ教師もいます。

でも、そんなのは一人いるかいないか。

あと、苦しい自分が好きなドM教師もいる。

 

 

そんなのとは比べなくていい。

いいんだよ、手を抜いて。

ってか、そもそもが不可能なんだから。 

手を抜いてやるのが、教師という仕事です!! 

 

 

生徒の不利益になる??

しらねぇ( ´Д`)y━・~~

 

どんな仕事でもそうだけど、健康を害してまで得るべき成果はないです。

 

 

教師の健康>>>>>>>>>>>>>>生徒の利益 です。

 

 

そもそもさ、学校が与えられる生徒の利益ってなに?

そんなものあんの?って、思っちゃう。

 

 

生徒が、朝学校に来て、放課後無事に帰すことができれば、学校としての仕事は完璧です。

 

 

それ以上になんだかんだ求めるのは、まぁ大人のエゴである場合が、ほとんどだったというのが、僕自身の実感かな。

 

ちなみに、 この駄文は、苦しくて追い詰められている先生とか、かつてそうだった僕自身を想定して書いてますが、書いてる内容はある意味で真理であると確信をしています。

 

 

数年前、僕自身はそうやって、手を抜いて、成果を諦めたおかげで、病気にならずに済んだと思っています。

 

精神安定剤を飲んで出勤したり、朝どうしても出勤できなかったりしたけど、最終的には自分の健康を優先したおかげで、病気になることはなかったと思っています。

 

 

もちろん、生徒が深刻な状況である場合は、生徒が最優先です。

でも、そんな状況はそれほどないです。

 

いじめの兆候があるとか、両親にDVされている疑いがあるとか、中学時代の親友が自殺してしまったとか、そういう状況ではもちろんそれらの対応が最優先。

 

でも、それ以外は。

学校において、重要なことなんてそんなにない。

 

手を抜いて、成果を諦めて、生徒と関わると、かえって物事がうまくいったっていうことがあります。

教師が、頑張ろうとすればするほど、生徒は防御の姿勢になる、なんていうのはよくあること。

 

学校の先生が生徒を成長させる。

そんな考えはおこがましいかもしれないよ。

生徒は自分で成長するんだ。

学校の先生なんて、いてもいなくても一緒ともいえそうです。

学校なんて生徒のレクリエーションの場でいいんじゃない。

 

どうか、気楽に手を抜いて。

 

 

窓際になったって、大丈夫。

 

 

元気になったらまた頑張ればいいんだし。

 

 

苦しい時は、手を抜こう。

 

 

 

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✳︎↑個人の感想です。 

 

 

自分の頭で考えるために必要なこと

人生の選択や行動において「自分の頭で考える」ということは、言葉以上に難しい。

 

実際に自分の頭で考えて行動できている人が、どの程度いるのだろうかと思う。

 

堀江貴文氏の著書「ゼロ」の中に、『自分の頭で考える』ために、絶対に乗り越えるべき必要条件が書かれている。

 

それは『親元を離れること』。

 

物理的にだけでなく、精神的にも、親元を離れ自立しなきゃいけない。

できるだけ早い方がいい。

 

僕は、その自立ができていなかったということに、今更気付いた。

今まで生きてきた人生に対する、納得感がほとんどない。

人生が楽しかったという思いがほとんどない。

 

いつも何かに忖度してて。

いつも何かを隠してて。

いつも行動を自分で制限してて。

やりたいことも、やりたくないことも、言い出せず。

 

人生を思いっきり生きたっていう感覚があまりありません。

その大きな原因の一つに、自立をしていなかった、というものがある気がしています。

 

何か自分で考えて行動しようとすると、親の顔がチラついて、ブレーキがかかる。

成人をすぎても、そういう経験をする人は少なくないと思います。

または、親が原因とは気づかないまま、ブレーキがかかる人もいると思います。

 

本当はやってみたいのに、やらない。

たとえ小さなことでも、そんな不満は、やがて大きな恨みになっていく。

そんな気がしています。

 

親との関係は、そのまま社会との関係につながる。

 

子どもの時から、親の前で自由な言動を取れなかった場合、社会に出てからもそれをひきずる。

それが人生に対する納得の無さにつながる。

 

 

過干渉

過保護

ヒステリー

子どもを心配する

子どもの前で不機嫌になる

子ども相手に愚痴をいう

人生に悲観的

人の意見を検証せず否定する

目先の安全を押し付ける

子どもの前で夫婦喧嘩をする

子どもの言動に過剰に反応する

先回りして手を出す

自分が正しいと思っている

すぐ不機嫌になる

すぐ不安になる

すぐ怯える

・・・・

 

などなど。

以上に当てはまる親は毒親だ。

僕はそう思う。

つまり「ほとんど全ての親は毒親」だと思う。

 

親がこのような親だった場合、子どもには絶対に望ましくない影響がある。

 

つまり『親ガチャはずれ』(byナリ心理学)。

 

だから、自分の人生を生きるためには、自立が必要。

 

 

僕は43になって自立できていなかったことに、ようやく気付いた。

でも、僕以外にも、自立のできていない大人は多くいると思う。

 

 

 

以前、三者面談をしていると、どうしても生徒の母親に対して、イライラしてしまうことが多かった。

それは。

 

過干渉

過保護

ヒステリー

子どもを心配する

子どもの前で不機嫌になる

子ども相手に愚痴をいう

人生に悲観的

人の意見を検証せず否定する

目先の安全を押し付ける

子どもの前で夫婦喧嘩をする

子どもの言動に過剰に反応する

先回りして手を出す

自分が正しいと思っている

すぐ不機嫌になる

すぐ不安になる

すぐ怯える

・・・・

 

というような親が多かったからです。

生徒に自分を投影してしまい、保護者に自分の母親を投影していたからだと思う。

僕自身が、自分の人生に納得が得られておらず、その原因の一つが親の在り方で、それと同じことを目の前の保護者が生徒にしている。

 

その状況にイライラしてしまっていました。

 

暴力をする親に育てられた子は、暴力をしやすいという。

アル中の親に育てられた子は、アル中になりやすいという。

自己肯定感の低い親に育てられた子は、自己肯定感が低くなりがちだという。

 

戦争が終わって、たったの76年。

その傷は、76年じゃ癒えていないと思う。

親から子へ、またその子へ、と傷は癒えないまま、受け継がれてしまっていると思う。

 

だから、親元を離れて、自立。

悪い連鎖を断ち切って、自分で人生を決める。

それが大事だと思います。

  

 

 

ちなみに、親は絶対に変化しません。

何を言っても、絶対に理解もしません。

相手にしないのがベストです。

もう、精神的には切り捨てるのがベスト。

それは、まっとうなことで、後ろめたさを感じる必要など全くない。

あと、『親は感謝するべき存在』なんかでは、全くないと思います。

だいたい、「感謝するべき」っていう言葉自体が矛盾を孕んでいます。

もし、僕が親だったら、子どもに感謝なんてしてほしいとは、絶対に思わないと思うなぁ。

 

 

追記

もう一つ、ちなみに。

ここでいう「毒親」っていうは、一般的な「普通の親」のことだと思います。

だから、そうなるのは当たり前っていうか。

「毒」っていう字が、強くて誤解を招きそうっていうか。

目の前に、フライドポテトを盛ったお皿があったら、食べない方がいいとわかってても、普通は食べちゃうっていうか。

決して批難しているつもりはないです。

僕が今まさに、自覚してる最中だから、どうも愚痴っぽく、批難めいた表現になってしまっているとは思いますが。

とにかく、普通のことだからこそ、親元を離れる必要があると思っています。 

 

 

 

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 もうダメっていうのは、幻想。

そう思っています。

江頭2:50に救われる。

一昨日、マジで気持ち的に調子が悪く、何もできませんでした。

 

もうダメだと、早々にあきらめて、

「コンビニでコーラとポテチ買って、『エガちゃんねる』をみよう!!」

と決めました。

まだ、お昼前ね。

 

すっごい笑わせてもらいました。

笑いながらなぜか泣き続けましたね。

 

江頭2:50さんは、本当にすごい。

と思いました。

 

ずっと、何年も、一本の筋の通った生き方をされている。

矢吹丈みたい。

甲本ヒロトみたい。

 

日本を元気にしたいとか、見る人全員を笑わせたいとか、すごい信念を感じます。

 

「オレが1番下じゃないと、下の奴ら全員を笑わすことができない」って言ってた。

 

なんだかすごい慈悲の心を感じたな。

そういうのが画面から伝わるから、爆発的に人気なんだろうな。

とにかく見る人に笑いを「与えたい」、そんな気持ちだけでやっていることが、画面から届いちゃうんだろうと思う。

 

ともすると、誰も、人から「奪いたい」と知らず知らずに思ってしまうと思う。

そういうのって、伝わると思う。

そういうのを見ると、心のどこかが苦しくなっていると思う。

気づけば、自分も「奪おう」としている。

大袈裟かもしんないけど、真実だと思います。

 

みんな欲しいと思っている。

奪いたいと思っている。

気づくとそうなっている。

 

仏教の目的の一つは、慈悲の心を育てることだと言います。

エガちゃんって、仏教を体現しているんじゃないかな。

 

 

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「もちろんです!!」

 

私たちは「自分で決めたこと」のために必死になりたい。

僕は今まで、自己啓発の本やサイトを結構たくさん読んできました。

 

教員をやってて、本当に苦しかったとき、それらは確実に僕を助けてくれました。

(僕にとって、有益だったものを、いずれここにまとめようと思う)

 

そういう情報には、大きく分けて2種類あると思います。

 

① マイナスの状況をゼロにするための情報

② ゼロ以上をさらにあげるための情報

 

①は現状が危機的に苦しくて、そこから抜け出したいという人が対象

②は危機的状況ではないが、今の生き方に納得していない人が対象

 

っていう感じでしょうか。

 

僕は、10年前からしばらくの期間、生徒との関係やクラス運営が本当にうまくいかず、苦しい時期がありました。

精神安定剤を飲んで出勤した時期もあったし、朝起きることはできたけど家を出ることがどうしてもできないという日もありました。

 

そんなとき、①の情報を与えてくれたサイトや本は、本当に僕を助けてくれました。

(軽く一つ紹介するなら、「名無き仙人のサイト」人生を変える方法ですね。このサイトのおかげで僕は助かりました。マジで。)

 

ほんと、当時は完全にノイローゼでした。

もう、簡単な事務仕事も手がつかない状態で、常に他の先生と比較して自分をさげすみ、毎秒気が休まらなかった。

行くとこに行けば、うつの診断は確実に受けたでしょうね。

 

ともあれ、そんな状況をなんとか乗り越えました。

それは、本当によかったです。

しかも乗り越える中で、本当にいろいろなことを学ぶこともできました。

(そんなこともいずれここに書けたらと思います。)

 

 

 

で。

それ以降も、本やサイトは読むようになりました。

言ってみれば、

 

② 危機的状況ではないが、今の生き方に納得していない人が対象

 

の情報を得ていました。

 

それらを読んで、気持ちがたかぶったり、教員の仕事の中でメソッドを試したりしました。

 

でも、どこかでいつもうまくいかなくなる。

そもそも、途中で「やりたくなくなる」。

 

そんなことを繰り返していました。

 

原因は明らかだったし、自分でもわかっていました。

 

教師がやりたい仕事じゃなかったんだと思います。

「自分で決めたこと」じゃなかった。

 

もちろん、自分で選んだ仕事です。

しかし、何度か書いたように、積極的に「これをやる」と決めたことではなかったんですよね。

 

世間体だったり。

親の視線だったり。

安定だったり。

もう決める時期だからだったり。

 

そういうもののために決めた。

それを「やりたいこと」と称して決めた。

 

まぁなんとも情けない話だけど、それが事実だと思います。

 

自分で積極的に「これをやる」と決めたことでないと、どうしても途中で止まっちゃう。

 

そこにどんなスキルやメソッドを与えても、まずは「自分でこれをやると決める」っていう土台がないと、 力は途中で抜けてしまって、生きる手応えも感じなくなっちゃうんじゃないか。

 

人は絶対、必死に働きたい生き物だと思います。

でもそれは、「自分で決めたこと」に対して、っていう前提があると思う。

 

もちろん組織で働く以上、やりたくもない作業はある。

意義も必要も感じない作業を、しなきゃいけないこともある。

それはやんなきゃなんない。

そんなところの話ではなくて。

 

そんな中でも、何か大きなところで、積極的に自分から決めたことを成すために、その組織にいることが必要だ、と言えるかどうかが大事というか。

 

 

もう人からの評価を追うのは嫌だ、苦しくなるから。

もう人から言われただけのことをするのは嫌だ、動けなくなるから。

もうむやみにネットの情報に振り回されるのは嫌だ、苦しくなるから。

もう上手くいっている人に嫉妬するのは嫌だ、苦しくてたまらんから。

もう人生勝ち組負け組とかダメだ、苦しくてたまらんから。

 

 

やる必要を感じ、 意義を感じ、人より得意で、やろうと思えること。

そんなことに集中する。

 

今からでも、そうする。

必ず見つけよう。

 

 

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「かかってこいでぇすぅ」 

 

 

 

 

一歩踏み出すことが、成功。

ちょっと、最初に苦しい気持ちを表現したいので、ネガティブ表現がありますね。

できるだけ本音を書きたいので、情けない表現・甘えた表現・偏った視点もあるかと思います。

あへへh。

 

ーーーーーーーーーーーここからネガティブーーーーーーーーーーー

もうすぐ、無職になって1ヶ月になります。

正直、気持ちの面では焦りが常にあります。

教師を辞めたこと自体には、全く後悔はないのですが、何をしたいかがわからない。

絵は描きたい。

絵を描きたいので、一生懸命描きますが、どうにも遅くて時間がかかる。

そんな時間をかけた描いたものをSNSにアップするも、ほとんど見てもらえることもなく、さらに焦りと落ち込みに見舞われる。

(まぁ当然と言えば当然だろうけどね。ネットの世界は厳しいぜ、と思いました。)

毎日、ほぼ誰ともコミュニケーションを取らないので、どうしてもネットを見る機会が増えてしまう。

そうすると、ネットには、まぁいわゆる「成功者」っぽい人たちが雨後のタケノコのようにいるじゃないですか!!

こんなに才能のある人って世の中に沢山いるのか!!

そんな中で、一体俺はなんなんだって、なってしまう。

こんなに皆(←強引な一般化、認知の歪み)、フォロワーがいて簡単に(←認知の歪み)成功しているのに、俺は何日もかけて描いた絵が、ほっとんど誰も見てくれない!!

なんて不公平なんだ。

いやまじで、ネットには凄い人たちが多すぎ、何者なんだよ(←思う)。

俺はもうだめだ(←認知の歪み、白か黒か思考)。

誰も俺を認めてくれない(←認知の歪み、承認欲求に振り回されている)。

ネットって怖い(←それはあると思う)。

一体どうすれば、見てもらえるんだろう(←承認欲求)。

俺も簡単にチヤホヤされたい(←本音)。

でも、俺には何もない(←まぁ認知の歪みか。何もないことはないだろう)。

43で仕事辞めて、数学は多少教えられる程度(キャーどうなるのかしら、ドキドキ)。

学校では苦労したこともあるけど、その程度のネタは、ネット様には敵わない。

ネット様たちに比べて、俺はまるでゴミみたい(←他人との比較)。

ーーーーーーーーーーーここまでネガティブーーーーーーーーーーーーーー

 

昨日、本当に感じたことを、できるだけ正確に表現しようとしてみました。

1ヶ月、自分なりに頑張ってみたけど、まるで何も進展が見えず、焦りと嫉妬と自己否定に苦しだっていう感じですかね。

まぁ自分なりに頑張ったって言っても・・・・何を?って感じですよね。

そりゃそうです。

でも、後で書こうと思いますけど、とはいえ、それはそれでがんばっていると思います。

で、昨日は本当に苦しくて、ちょっと脳の認知機能にも悪影響が出ているんじゃないのか、なんて心配するほどだったんだけど (日記の字とかよく間違えるから)。

ネットももうむやみに見るのはやめよう、と思いました。

ネット上には『成功するためには○○しろ!!』とかいう情報が氾濫してるし、成功者が雨後のタケノコのようだし、孤独な僕は余計に苦しくなるだけだし。

で、そういうものになんか振り回されてしまっているな、って思ったのです。

これ、完全に自分を見失っているなって、思いました。

これ完全になんか間違ってるなって。

 

 

で、どうしようって思いながら、今日は目が覚めました。

 

いつものように掃除をしながらYouTubeを見ていると(←結局見てるんかい!!)、ある動画に出会いました。

 

これです。

結果が出ずに悩んでいる人へ。「継続」する勇気をくれる名言! - YouTube

 

結果が出ずに悩むほどに何かやったのかっていうセルフツッコミを入れつつ、でも苦しいのは事実なので、視聴しました。

 

で、「あぁこの考えを大切にしよう」と思ったのが、本田圭佑さんの言葉です。

ちょっと引用します。

 

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新しいことに、挑戦しようとしている皆さん

 

失敗が怖い。

その結果、周りになんて言われるか怖い。

 

不安にどうしてもなってしまう。

 

そういうネガティブなマインドがあればあるほど、上手くいった時の喜び、感動が大きいということは、僕だけでなく、おそらく皆さん自身が知っていると思います。

 

コツが自分の中ではありまして。

 

その怖い要素を取り除くためには、上手くやろうと思うんではなくて

要は、結果を出そうとするのではなくて、上達しようとする

 

成長しようとする。

一歩前に進もうとする。

進めたら、それを成功とする。

 

こういった考え方に、今のマインドから切り替えることができれば、新しい難易度が高い挑戦も。

 

やれるかな?

失敗しないかな?

じゃなくて。

 

必ず今日できなかったことが明日できるようになるので、常に前に進み続ける。

 

それを喜びとする。

それを成功とするマインドに変えてもらえればな、と思います。

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うーん。

なんか、これだなぁって、強く思って感動した。

いや、こういう言葉って、いつかどこかでも、聞いていたはずなのに。

苦しい時ほど、届くのかもしれないですね。

だから苦しいときってのは、悪い事ばかりでもないのかもね。

ムショクは辛いよ。

 

 

僕は今、孤独で、なんか焦ってて、先も結果も見えなくて。

ネット様には見向きもされなくて。

どうしようって思ってました。

 

でも、自分の成長にフォーカスを当てるコトの大切さを、思い出させていただきました。

 

そうだよね。

フォロワーなんて、よほど凄い人じゃない限り、一朝一夕で着くはずないし。

そもそもそれが目的じゃないはずだし。

それだけを追ってたら苦しくなるだけだし。

 

なんかさ、焦ってた。

一代決心で教師辞めて。

何をしたらいいか、わからないけど、なんかしたくて。

孤独を埋めるためにネット見て。

ネット様たちは、凄すぎて。

自分も成功しなきゃっとか思って(*´ω`*)。

いや、もちろんできるなら成功したっていいし、したいですよ。

最終的には、僕みたいに「自分を損ねてるんじゃないか」とか「納得した人生じゃない気がする」とか思っている人たちの見本となりたいと思っているし♪(´ε` )。

 

でも、完全に自分を見失っていたな。

 

まず、成功でなくて、成長にフォーカスする。

 

そりゃそうだ。

 

ついこの前まで、母親からの精神的な自立について、自覚したばかりなんだから。

世間に出たことなんて、ないんだから。

学校の中で、生徒の相手をしてただけ。

そんなに都合よく、望むものをくれるはずない。

そう思っているのが、親から自立できていなかった証拠かな。

なーんて。

 

 

そういった意味では、成長をしている。

43歳だけど。

これまでの環境を捨てて、一歩踏み出しているし。

そういう意味で、がんばっているよ、僕。

 

 

今僕は、目的(ゴール)を自分で決めて、それに取り組みたいと思っています。

 

目的はまだはっきりしません。

なんでもいいから、やればいい。

そう思います。

 

もう学校教育のように、正解を覚えるとかじゃダメだと思った。

効率のいい、解法をどうにかして教えてもらうとか、もうダメだと思ったんだった。

 

成長のためには、試行錯誤して、トライアンドエラーしないとね。

 

その行為自体が、成長。成功。

 

そういう教育が大事よなぁ。

 

他人と比較して、効率ばかり求めて、失敗を忌諱して、優劣つけて、他人をジャッジして、自分をジャッジして。

 

もうそういう教育はいやだ。

だから、自分からって思ったんだった・・・・。

 

あへへへへ。

 

 

 

まぁまずはとにかく行動ということで。

 

いくつか、「やってみたいかな?」って思うことがあって。

 

まず、一つやってみようと思います。

 

そのことも、後日、ここに書こうと思います。

 

一歩踏み出すことが、成功だもんな。 

 

 

 

ゴーカイジャーが、もう10年前とは驚く。

大っ好きだったな。

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絵も、好きなんだし、早く描けるようになりたいんだから、もっと続けよう。

自己表現の武器を身につけたいのです。