キャストパワーネクスト、演劇キャストのオーディションに行ってきました!!
8月に公演される、演劇のキャストオーディションに行ってきました。
場所は、いつも通っている汐留にあるスタジオ。
須田祐大さんという方がプロデューサーでした。
マスクで容姿がよくわかりませんでしたが、後で調べてみたら年下の人だった。
俳優や舞台プロデュースをずっとやってこられているようです。
なんていうか、プロの仕事をずっとやってこられていることに、ある種、畏敬の念を抱いてしまった。
このあと後述しますが、参加者の方もいろんな仕事をされている人たちがおり、その人たちにも、プロとしての畏敬の念を抱いてしまう、というか。
① プロの人に感じる、負い目
なんだろう。
話はそれるけど、なんだか『自分はプロとしての仕事をしたことがない』という気がしてしまいます。
15年間、教員を自分なりにがんばったけど。
どこか、『アルバイトの延長の心もちでやってきたのかもしれない』っていう後ろめたさがあります。
「仕事とは自分で作り出すもの」
という言葉がありますよね。
昔は、そんな言葉を聞いたら、
『はぁ、ふざけんな。仕事なんてできるだけ減らして給料もらって、なんぼだろ』
とか、知ったふうな知らないふうなことを思ってました。
でも、今思うのは、やっぱり『仕事とは自分で作り出すもの』だと思います。
言葉の意味をわかっていませんでした。
昔は、『わざわざしなくてもいいことを作り出す』ように聞こえていました。
わざわざ作り出すなよ、仕事が増えちゃうだろ、って思ってました。
でも今は、『この世界を良くするために、自分からできることを考えて、積極的に働きかける』というように理解しています。
うーん。
そう考えると、やっぱり仕事してこなかったのかな。
「この世を良くするため」という部分にも疑念をもってしまう。
(決して、教員の方を蔑んでいるわけではないです。)
「自分から考えて、積極的に」という部分は、まぁなってなかったな。
なんか、「別に今のままで十分じゃん」って思っちゃうんだよな。
だから、僕は人を助けてきていないのか。
困っている人が、見えていないのかもしれない。
そんなことを思った。
このままじゃ、だめだよね。
( ´Д`)y━・~~
② オーディション参加者について
オーディション参加者について、覚えている範囲で書いておこうと思います。
といっても、あまり覚えていないのですが。
応募者は、127名。
いくつものグループに分けての審査だったので、同室にいたのは25名程度。
いろんな思いで、いろんな境遇で、皆参加しているのだなぁ、っと思いました。
特に、若者ではない人たちの生き方を聞くのが、面白いと思いました。
(若者の話は、だいたい同じなんだよね。←失礼)
【1】緑茶喫茶店経営の50代男性
20年間、毎日毎日、ずっと仕事の日々だったそうです。
今回のコロナの影響で、時間にも余裕ができたことで、家族との話す時間も増えたと。
また、自分の人生についても振り返って考えるようになった。
そこで、全くの未経験であるが、俳優業に対しての憧れを若い頃からもっていて、挑戦したということです。
今までに、何度かオーディションという場に参加しましたが、必ずこのような人たちがいました。
つまり。
今まで仕事をがんばってきたけれど、ある年齢になって、昔からやってみたかった演技・演劇に挑戦する、という人。
考えてみれば、必ずいました。
それに考えてみれば、僕もその一人でしょう。
40代とか50代って、そう考える人が多いのか。
実際に、行動するしないは別にして。
きっと多いのだと思います。
【2】車雑誌編集10年、ラーメン店店員10年の40代男性
見た目はちょっとイカつい感じでしたが、非常に繊細だそうです。
この人も、上記の人と同様に、今の年齢になって生き方を考えた結果、このオーディションを受けたそうです。
大人の人の話を聞くのは、おもしろい。
理由は、『見た目では判断できない、意外性を発見できる』からだと思います。
この方も、前述の方も、街で見かけたら、『演劇をやってみたい』という思いを抱えているようには、見えないわけですよね。
ところが、こうして自己紹介を通じて、話を聞けば。
すました顔して、何もかも割り切った大人のように見えて、実は若い頃からの夢とか憧れっていうのは、そう簡単に消え切るものではない、ということがわかります。
「そういう人は、僕だけではないのだ」という、意外な思いと、共感とが入り混じるようです。
だから、大人の話を聞くのは、おもしろいと思います。
特に、このように、カッコつけずに、正直なところを話す時に限ってはね。
【3】演技経験あり、プラジルで歌手やったり、何かのCM出演経験のある50代男性
この人は、若い頃にすでに芸能活動の経験があるらしい。
それ以降は、離れていたらしいですが、さすが芸達者と思いました。
なんか、数ヶ国語を話せるらしく、中国語とポルトガル語を披露していました。
この人も、見た目は普通の人なんだよなー。
街で見かけたら、きっと目にも入らないくらいに、ふっつーのおじさんなのに。
こうして、ちょっとフタを開けるとなんか出てくるのが、大人のおもしろいところだと思います。
【4】早稲田大学を目指し3浪するも、結局合格しなかった21歳男性
まず一つ思うのは、『ちょっと屈折したものを、芸能参加によって立て直そうとする人』というのが一定数いる、ということです。
別に批判しているわけではありません。
2年前に、キャストパワーネクストの所属生になるためそのもののオーディションを受けました。
そのときにも、仕事がなくなってしまって半ばヤケクソのようにオーディションに参加している人がいた。
もちろん受からなかったのだろうけど。
この21歳の人にも同じようなものを感じた。
次に思ったことは。
『教員のときにも、こういう生徒いたなぁ』ってこと。
自分の実力を超えた大学 (のブランド) にこだわりすぎてしまい、浪人を重ねてしまう子。
なぜか、学年に必ず一人以上はいました。
僕も大学受験では、浪人をしましたが、やはり「浪人は一年まで」がいいと思います。
それ以上は、得るものより失うものが大きくなると思います。
実際に、この方の言動にも、ちょっと屈折したものを感じました。
プロデューサーから「演技に対する興味」について質問をされると。
大学受験の試験会場での様子を引き合いに出しながら、こんな話をしました。
『チャラそうに見えて礼儀正しい受験生もいる。
一方でとてもキレイな女子だけど態度の悪いのもいる。
試験管も同様に、丁寧に問題用紙を配布する人もいれば、投げ渡すようにする人もいる・・・・・・(以下略)』
要は、「人間観察を通じて、人の内面を捉えてきた」ということが言いたいのだと思いますが・・・・・。
でも僕には、違うことが気になりました。
それは、この人が他人をジャッジし続けているということです。
(批判しているのではないです。)
長い時間、受験勉強をし続けていると、他人との関わりが直接的なものではなくなる。
他人が、外側から見ているだけ対象となってしまうのではないか。
直接の会話があれば、共感したり、自分自身を省みたりするでしょう。
しかしそれがないと、どうしても今の自分の価値観だけで、他人にモノサシを当てがちになってしまう。
で、他人をジャッジし続けていると、やはりなかなか平安な心情にはなれない。
自分もジャッジされているという世界観に生きることになるから。
そもそもが、大学の名前にこだわるタイプなら尚のこと。
他人のことも、こいつは上等、こいつは下等、とジャッジしてしまいがちなのだと思う。
自分が、他人をジャッジしていると気づくことができるのは、ものすごい壁にぶつかったときだろう。
そのときまでは、気づくチャンスはなさそうだと思いました。
エントリー用紙のようなものに、「得意なジャンルはお笑いやコミカルなもの」と書かれていたらしく。
プロデューサーが「恥ずかしがらずに、そういうことができるタイプなの?」と質問しました。
それに対して、こう答えていました。
『もちろんですよ。
なんせ、3浪もしてますからね。
もう恥ずかしいものなんてないです。
バカにするならバカにしろって感じです。』
と答えていました。
僕は、思いました。
別に誰も君をバカになんてしてないし、君を笑う人なんていないと思うよ。
むしろ、君に関心をもつことさえないよ。
もちろん、それは僕も同じ。
人のことを敵と思っていたら、人を笑わすことなんてできないと思うよ。
と。
僕も昔、生徒をジャッジしまくって、どん底に落ちた経験があるから、彼のことがよく見える気がしました。
万が一、彼から何か相談されることがあるなら、いろいろと話をしてあげたいと思いました。
まぁでも、そんな機会はないでしょう。
【5】その他、若者たち
勝手にその他にすんなって感じですが。
皆さん、フレッシュで可愛かったすよ。
若いうちから、好きな道に一生懸命なんだな。
勇気もあると思うし、挑戦しているよな。
長文・駄文、読んでいただきありがとうございます。
今日も本当にお疲れ様でした。
ありがとうございました。