3ヶ月たった。
しかも7月ももう12日!!
↑ 『事前に知った答えを書き出す』ということが、はたして成長といえるのかって思って描いた4コマ。
① キャストパワーネクストのことについて
5月に受けたキャストパワーネクストのレベルチェックオーディションの結果が出ました。
高得点者として、後日レクチャーを受けることになりました。
もう随分と昔のことのように思えますが、平日の昼間に一人アパートでギターのセッティングしたり、ドラムの打ち込みを作ったり、かなり寂しく心細く作業していたことが思い出されます。
また、一応そうして自分が一生懸命に準備したりしたことを、それなりに評価してもらえたことは、うれしく思いました。
ただこの高得点者のレクチャーを受けたら、どうなるのかとか、実際これがどういうものなのかは、よくわかりません。
また、なかなか仕事(?)も、得られないですね。
以前、6月後半に一件だけ受けることができた仕事は無事に終了しました。
某オンライン英会話の宣伝動画撮影です。
上段にあるような『一人で英語を練習している風』の動画を6日分提出しました。
その後、上野の某所で、ネイティブの女性とのやりとりを撮影しました。
担当のスタッフの女性が大変いい人でした。
とてもにこやかで温和で可愛かったです。
私もまだちゃんと社会人的なコミュニケーションを取ることができました。
こうして人と関わりながら仕事していると、「もっとやりたいな」って思います。
僕なりに一生懸命にやりました。
その後、CMの出演とか色々と目につくものにはエントリーしているけど、まったく受からないね。
こんなの皆どうやって仕事を得ているんだろう。
いかにもエキストラ的なものは、数年前にやったが、正直『もうやりたくない』と思う。
某携帯のテレビCMで、ライブ会場の客としてひたすらペンライトを振り続けた。
都内某所のライブハウスに7時30分に集合。
終了は、夜10時近かったと思う。
エキストラはとても大切な存在というのはわかっている。
また、そういうものしか仕事なんて与えてもらえないのが現実かもしれない。
でも、あれはもうやりたくはないな。
20代の時なら、物珍しさもあって、やれたと思うけど。
今はもう、時間も労力も『浪費』としか思えない。
交通費くらいしか出ないしね。
あれだけのことをやらせるなら、ちゃんとバイトとして雇って、日当を出すべきだと思うけどな。
明日は、8月に上演されるという演劇の出演者のオーディションです。
この劇というのも、どういうものなのか僕はよくわかっていません。
しかし、ちゃんとチケット料をとって上演するもの。
有観客になるか無観客になるかは、わかりません。
昔から演劇というものに興味があったので、申し込みました。
明日のオーディションの内容は、『1分間の自己PR』『演技課題』です。
演技課題の台本は、その場で渡されるらしいです。
昔から演劇というものをやってみたかった。
だから、とりあえずオーディションやってみます。
② 行動を多くしないと
僕はいつも、行動が少ないと思っています。
若い時からそう。
せっかくのこの状況を生かせていない。
旅に出ようかと思って、チャリを整備に出したりしたが、毎週のレッスンやオーディションなどが気になって、結局今まで何もしていない。
「飛び込む」ということをしなきゃいけないと思う。
それを何度も、と思う。
自分の意思から、主体性から行動を起こす人を、とてもかっこいいと思う。
あこがれる。
僕は何をしたいんだ。
そもそも、情報が、経験が少ないから、何をしたいのかわからないのかもしれない。
ある人に「鳶職」をやることを勧められた。
とても多くのことを学べるらしい。
文化系の僕には正反対の分野だ。
でも、今のように絵だけ描いたりしているよりマシか。
絵を描くなんていっているのも、ただ行動の足枷になっているだけかもしれない。
主体的に行動を起こす人、仕事を起こす人たちって、かっこいい。
僕は何をしたいのだ。
③未来をもつ
『未来をもって行動をする』
これがすごく大事だと思う。
これをできている人は、どれほどいるだろうか。
宿題が出るからやり、新作ゲームが出るからやり、受験の時期だから勉強し、就職の時期だから就職し、結婚の時期だから結婚し・・・・。
それで満足ならそれでいいと思います。
僕は、人生について、次のようなイメージをもっています。
僕にとって『未来をもつ』っていうのは、3コマ目の『遠くにとる点』のことです。
僕はこの点を、遠くにとったことがない気がする。
この点を、目的とするところに打つことが、『未来をもつ』ことだと思う。
今までだって、がんばって生きてきた。
(みんなそうでしょ。みんながんばって生きているよね。)
だけど、点が近すぎたんだと思うのです。
高校受験のときもがんばった。
でも、点は『志望校の合格』に打っただけだった。
高校では、嫌だったサッカー部を我慢してつづけた。
でも、点は『部活をやりきること』『部員に嫌われたくないこと』に打っただけだった。
大学受験のときもがんばった。
でも、点は『志望校の合格』に打っただけだった。
大学時代は、バンド活動をがんばった。
たしかにがんばっていた。
ほとんど全てのリソースを注ぎ込んでたと言えると思う。
でも、点は『目先のライブ』に打っただけだった。
サークルの内外含め、目先のライブやレコーディングしか見ていなかった。
それを、どう展開するのか、本当にバンドでやっていくのか。
そういうことは、わざと目を逸らしていた。
怖かったからね。
教員になった直後は、授業をがんばった。
たしかに最初のころは、授業を確立するために必死だったな。
メチャクチャ苦労した。
余裕でできる若手もいて、悔しかったな。
でも、点はどこに打ってたのかな。
せいぜい『この先生の授業いいと思われること』に点を打ってたくらいか。
その後も、いつもとても近くに点を打ってた。
『担当クラスの平均点をトップにする』
『今日の試合をとにかく終わらせる』
『合宿を終わらせる』
『帰ってゲームセンターCXを見る』
『いい成績をとって上位クラスを担当できるようになる』
『クラスをまとめる』
いつも点が近い。
その先がない。
それでどうしたいか、どうなりたいかがない。
どうしたら、点を遠くに打てるのだろう。
そのためには、この世を知らなきゃいけない。
同い年のある知人が、20代の時に、この世を知るために、ホームレスをしたり、漫才師をやったり、ホストをやったり、芸能の裏方をやったり、したらしい。
色々やったらしい。
たしかに、若いときにいろいろやるべきなんだろうと思う。
僕は今からそれをしないといけないか。
そのためには、別の知人が「鳶職」を勧めた。
未来に点を打つ。
未来に点を打つ。
その生き方をする。