幸せを押し付ける人たち
「幸せ」を押し付ける人たち。
彼らが やっていることは、なんだか全て不安ビジネスと変わらないように思える。
そんなものに翻弄された挙句。
「もう生きてなくてもいいかな」
なんて考えるようになっちゃった。
聞いてもいないのに、アドバイスをしてくる。
頼んでもいないのに、評価をしてくる。
その結果、「生きた」実感が持てない。
「生きよう」っていう意欲が持てない。
ただ惰性で生きていくだけになっちゃってた。
ぼくは、もう負けでいい。
かかってこい、クソが。
もう他人の言うことは無視だ。
自分が大事と思うこと、自分が大切と思うこと。
それを一生懸命に。
親も教師も電通もインフルエンサーも、ぼくを惰性的にしただけだった。
委ねすぎたツケだ。
もっと早くに、「自分が大事と思うことが一番大事」に気づけていたらよかった。
子どものときから、人の話を素直になんか聞くんじゃなかった。
素直ないい子なんて最悪だ。
小学校の高学年くらいにもなれば、人を選ぶべきだ。
大人を選ばなきゃいけない。
っていうか、大人を切らなきゃいけない。
難しいことだけど。
できるだけ若いうちから、そういうことに気づく人が大成しているんだろうな、と思う。
親、教師、電通、インフルエンサーが押し付ける「幸せ」は、幸せなんかじゃない。
単なる「お得情報」だ。
なぜ、彼らは「お得情報」を押し付けるのか。
それは、「自分の利益のため」だ。
親なら「自分が安心したいから」。
教師なら「お給料もらえるから」。←ぼくのことね。
電通なら「売上が上がるから」。
インフルエンサーは・・・・よくわからん。
だからその「お得情報」は、まったく相手の方を向いていない。
相手に優劣意識を植え付けて、相手に時間を浪費させるだけで終わる。
「大人たちに褒められるようなバカにはなりたくない」
ぼくが中学生くらいのときから、 そういうの見抜いている人たちがいたのに。
重要性に気づかなかった。
ブルーハーツは好きだったけど、ある種、思春期のテンプレートのように感じている部分もあった。
岡本太郎著
「自分の中に毒を持て」
再読してみた。
以前、教師をやっているときに読んだ時より、響いたよ。
せこい勝ち負けや、損得なんかクソ喰らえ、と思った。
あえて「マイナスとなる方を選ぶようにする」。
そうすると、命がもりもりっと盛り上がってくるはずだ。
絶対、がんばろうと思った。
押し付けられる「幸せ」に、クソ喰らえ。