やるしかない。
孤独には慣れつつある。
と思う。
自分が無力なことも受け入れつつある。
と思う。
働きたい。
でも、もう、大事と思えないことで働くのはイヤだ。
イヤだっていうか、できそうもない。
きっと、心も体も動かない。
誰かがどう言っていたか、そういうのはもうなしにしたい。
誰かがいいと言ってた、悪いと言ってた、そういうのは もうなしにしたい。
誰かと比べて、いいとかわるいとか、ついつい気づくとそういうことばかり考えている。
そうじゃぁなくて。
「自分」
「自分」がどう感じるか。
「自分」が意義を感じるか。
「自分」が大切だと思うか。
それだけ。
本当は、それしかないと思う。
本当は、それしかなかったんだと思う。
もういい。
死ぬまでに何か見つかれば。
っていうか、死ぬまでそういう姿勢で、そういう気持ちで、生きられれば。
まだ、お金も時間も、なんとかなるくらいにはある。
自分だよ。
自分。
自分がどう思うか。
自分にとってどうか。
価値あるか、意義あるか。
そういうのって、あまりに考えてきていなさ過ぎる。
学校でもそう。
生徒に教えていることは真逆。
「自分」じゃダメだから。
「自分」じゃ迷惑だから。
「自分」じゃ間違うから。
「自分」じゃ損するから。
「自分」じゃ負けるから。
うるせー、クソゴミやろう!!!!
その結果、人生そのものに、生きることそのものに、価値を感じなくなることへの責任は、お前らとれるのか!!!
とれるわけないよ、他人だもん。
なぜ、そこまで「自分」をないがしろにするように、教えるのか。
学問は大いにしたらいい。
でも、最終目標は、「自分」を確立するためであってほしい。
思えば、ぼくは今まで、いい意味でこう↑ だったときに、結果を出せた。
小さいながらも、いくつかの成功体験は、「いい意味でこう↑」だった時に得られた。
たとえば、大学受験のために浪人してたとき。
あのときは、ほぼ誰ともつるむこともなく、情報交換することもなく、予備校の授業を徹底的に予習復習してた。
「効率のいい方法」とか「お得な情報」などクソ喰らえだった。
ただ、自分が大切だと判断したことだけを、自分が必要だと思うだけ、やり続けた。
人と比べることなんてしなかった。
だから、周りは一切視野に入っていなかったと言える。
気にもしてなかった。
自分の成績がどの位のところなのかなんかも、どうでもよかった。
だから手を抜くこともなかったし、逆に追い詰められることもなかった。
気づいたら、数学に関しては、全国模試で上位として名前が出るようになった。
あのとき、いちいち周囲の様子を見て、手を抜いたり、逆に焦ったり、しなくて良かった。
いちいち誰かと比較しなくてよかった。
今度も同じだ。
人生そのものを。
そう考えよう。
もう、これは「俺の」人生だ。
誰かに、見せるものじゃない。
見てもらうものでもない。
評価いただくものじゃない。
まだ、大事なものは見つかってない。
(少なくとも今のぼくには、教師をやるよりミンキーモモの絵を描くことの方が大事なようです。)
でも、必ず見つけます。
クソ喰らえです。
意義あると感じること、大事と思えることを、一生懸命やる。
それがいずれ経済にもつながる。
人との関わりで、その人に貢献する。
今の自分の力のなさに愕然としながら、いきます。