自分に集中しよう。
自分に集中しよう。
そんなふうに思います。
先日、校長に呼ばれて、少しだけ話をした。
僕が辞表を出したことについて、「どういう心境なの?」と、フランクな雰囲気で、笑顔のまま、校長は切り出した。
この校長は、5、6年前にこの学校に来た。
ベネッセで何やらお偉いさんをやっていたらしく、進学実績向上のために、理事長が呼んだっぽい。
年は70歳過ぎてると思うけど、バイタリティは高く、ブルドーザーのように学校改革に取り組んでいる。
組織だった仕事をするけど、トップダウン的に有無を言わさない部分もあり、敵も作りやすいし、嫌う人も多い。
僕も、直接的に関わる前は、人の噂で判断し、とんでもなく嫌いだったし、「独裁者」なんていうふうに思ってたりしたw。
昨年と一昨年は、直接的に関わる機会は、わずかではあるもののあった。
そうすると、それほど嫌わなくなった。
「まぁ、良い悪いは別として、学校を改革しようっていうなら、これくらいじゃなきゃ出来ないよな」
なんて思うようになった。
そんな校長に呼び出されて、話をしたのは、時間にしたら10分程度のものだった。
今回、この仕事をやめようと思ったのは、簡単に言えば、「このままじゃダメだ」って、今更気付いたから。
おせーよ、って感じか。
中年の危機ってやつか。
何年も前から、特に「クラス担任」っていう仕事と「部活動顧問」っていう仕事が、嫌で堪らなかった。
これを続けていくのは嫌だって、いつも思ってた。
その状況を、無責任にも放っておいた、ということになるのかな。
生徒と話したり、授業をしたりすることは楽しかったから、なんとなく続けたんだと思う。
そして、以前の記事にも書いたように、もう頑張れない!ってなって。
惰性になって。
何年も浪費した!って思って。
うわオレ何もしていない!って思って。
自分の人生を生きてない!って思って。
あれ、この人生って別にあっても無くてもよくね?ってなって。
一体何の為に生まれたんだろうってなって・・・・。
で、去年やめよう!って思ったら、すごく怖くなって。
辞めるのも嫌だし続けるのも嫌だ!ってなって。
人生失敗した!って思って。
勤め先がなくなったら、この社会において、僕の価値ってないって気付いた。
誰もオレのことって見てくれないんだ!ってようやく気付いた。
そりゃそうだよね。
僕に付随する社会的な価値って、勤め先に100%依存しているんだから。
ただ、「言うことを聞いてきた」だけだったんだ、って思った。
自分を確立してなかった。
自分の価値を確立してなかった。
人生をしてなかった。
自分の人生に無責任だった。
今思うのは、人生に無責任にさせる社会があって、僕含めてほとんどの人が、それに則って生きていると思う。
そう考えると、学校って、学校という仕組み自体が、自分の人生に無責任に生きさせるように出来ているなんて、思うようになった。
だって、僕がそうだし。
ちゃんと学校に行って、それなりにやってきて今、そう実感するんだし。
そう思ったら、ますます学校の仕事に、がんばれる理由を見出せなくなった。
「学校なんて行かなくていいんだよ」
「むしろ行かない方が、可能性があるよ」
もし、学校に行けずに苦しんでいる若い子がいるなら、そんなふうに言ってあげたい。
世界は学校なんかじゃ測れないほど、広いよって。
でも、それを言うなら、自分がそのように生きなくちゃ説得力はゼロだよなぁ。
本当にそう思うなら、自分自身が、その世界の広さを実感しないと、人に言うことはできないよね。
だから、見本になるように生きる!なんてことも思った。
先は何も見えていないけど。
ほんと何も。
校長には、言える範囲で、理由を言った。
一言で言えば、「色々と考え方が変わった。自分の人生を見つめ直したい」っていうことかな。
中年の危機だからね。
うーん、ここに書いたような本音の通りには、言えなかったし、言おうともしませんでした。
やっぱ、通りの良い理由をそれらしく伝えました。
だから完全に嘘とまではいわないにせよ、本当のこととはズレていることを伝えた。
でも、誠実に伝えようとは、意識したつもり。
本当は、人事の不満とか、そういう「この際だからぶちまけちゃいたい」なんていうことも、ないわけじゃなかったけど。
そういうのは無しにした。
で、誠実に伝えることだけ意識しました。
この校長自身、47歳で、学校現場からベネッセに転職したらしく、「まぁ人生を見つめ直す年齢だよね」と言っていた。
「食っていけるんか?」という質問に対しては、「僕の努力次第です。」と答えた。
「まぁ、食っていけるかどうかが心配だけど。人生を見つめ直す年齢だよな。おれも47で転職したし、おんなじだ。」
同じなのかな。
よくわからない。
そういうことへの理解を示してくれた感じで、最後に一言。
「わかりました。受理しますよ。」
と。
あぁ、受理されちゃったか。
9月末に、学年主任に伝えて。
12月9日に、教頭に辞表を提出して。
この日、校長に受理されちゃった。
ちゃくちゃくと進んでしまっているな。
あぁ、このあとどうなるのか。
心配だけど、こうするしかなかったっていう確信だけがある。
僕は、今までの間違いを繰り返したくないって、今は思っている。
その上で、ちゃんと生きて、生きた意味、生まれた意味を掴み取りたい。
なんとも漠然としているし、どうなんだろ。
・・・・・とも思うけど、今までそういうことをおざなりにして、今人生に納得感がなく、驚くくらいに私の人生を無意味に感じている。
だったら、思うように、失敗しても良いから、一度思うように、やってみればいいんじゃないか。
いくつか、今までも考え方を修正したいと思っている。
その中の一つに、今絶対に気をつけようと思っているのが、自分に集中しようということ。
これからは、「自分に集中しよう」と、思っている。
逆に、自分に集中しないと、精神的にもたないのではないか、と思う。
自分の人生に、集中する。
「この」人生をどうするか、それのみに集中する必要があると思っています。
今までは、きっとそれができていなかったと思う。
集中しているようで、していなかった感じがする。
つまり、他人の人生と比べたり、社会的に「正解」といわれることと比べたり。
それは「他人の人生」に気を配っていたり、「世間の目」に気を配っていたりして、自分の人生に集中していない状態だと思う。
ずっと、そうして生きてきたと思う。
それにほとんどの人たちがそうだと思う。
それでは自分の人生を生きることはできないと思う。
こう、力が分散しているっていうか。
本当は、誰しもが、誰とも比較なんかせず、世間体を気にするよりも前に、ずっと自分の人生に集中するべきなんだと、思う。
特にこれから僕は、そのことを強く意識していないと、精神的にとってもキツくなってしまうと思う。
もし他人の人生なんて気にして、自分と比較なんかしていたら、なんていうか、絶望してしまいそうだ。
これから僕は、仕事もなくなり、人とのつながりもなくなる。
自分の役割がなくなっちゃう。
その状況で、他人の人生と自分の人生を比較なんかしたら・・・・。
僕はテレビは見ないけど、ネットは見る。
ネットなんてちょっと開けば、他人の人生を覗き見しないわけにはいかないほどだ。
例えば、YouTubeで有益な情報を得ようとしても、多くの活躍している人たちが、嫌でも目に入る。
そのほとんどは、年下ということにもなるだろう。
Yahoo!のトップページも同様に、極力見ないようにするのは、意識していないと無理だと思う。
月間pv何マンとか、そんなことができている、僕よりずっと若い人たち。
もう、いちいちそういう他の人たちがどうなのかを、気にしていられるような場合じゃないと思う。
そんなことじゃない。
そう思う。
もっと集中して。
自分が良かれと思うこと。
自分が正しいと思うこと。
そういうことに則って、生きてみたい。
そういうことに集中しなきゃ。
そう思う。
考えてみれば、ほとんどの人たちが、そんな生き方をしていないんじゃないか。
それで、いつか僕みたいに、「なんだこの人生、意味ないじゃん」って気づくのかな。
自分の人生、自分のことだけをグッと集中して。
この世には、僕しか人間が存在していないと思って。
僕だけの人生を。
指針は、僕が良かろうと思うこと、正しかろうと思うこと。
もう何物とも比較しないで。
集中していこう。